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群馬県昭和村の城館索引へ戻る 阿岨城阿岨城阿岨城
1歴史・伝承   2残存遺構   3訪城記録・記念撮影   4アルバム  5交通案内   6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2017年11月29日のブログ 
所在地
 群馬県利根郡昭和村橡久保字岩ノ上907-2ほか
歴史、人物、伝承

上野北東部沼田領を巡る勢力争いの舞台のひとつ
 戦国期のものと推定されている年未詳11月26日付の阿久沢能登守宛北条家朱印状によれば「先段長井坂番与申遣候へ共、彼地相止、阿曾之寄居番ニ定候、参拾人自身召連、来月5日阿曾へ打着、6日に番所請取」と記され、阿久沢氏(赤城山南麓の神梅城を本拠地とした上野国衆)は長井坂城の城番から阿曾の寄居にその任務が変更されたことが窺える。(京都大学所蔵阿久沢文書/群馬県史資料編7巻)真田氏と後北条氏による沼田の領有争いが繰り広げられた天正年間後半のものであろうか。また、天正15年12月のものと推定されている赤堀又太郎宛北条氏直書状には、「阿曾の地番肝要の巷ニ候間」(赤堀文書/群馬県史資料編7巻)などに見られるように、後北条氏の指図により阿久沢、赤堀の両氏が城番を務めていた時期があったものと考えられる。
 後世に記された「加沢記」によれば、天正年間の後半に真田氏一族である沼田城代矢沢氏と後北条氏側の抗争の舞台のひとつとして登場し、この阿岨城も天正8年に一時は阿久沢氏らを駆逐し真田氏の支配下に置かれ金子美濃守(沼田氏旧臣とも)に手兵500を預けその守備を固めたことが記されている。しかし天正10年には後北条氏側の大軍に包囲され金子美濃守は沼田へと逃れたという。その際の敗因の背景に二十三夜供養のくだりが登場するのだが、こうした民間信仰の興隆はあくまでも近世以降の世情安定を背景にしたものであることに留意するべきであろう。両者抗争の末期には後北条氏側の優位に推移し、後の名胡桃城奪取に関わったとされる猪俣邦憲が城番を務めていたともいわれているが、真田氏側の立場に基づく軍記という性格上矢沢氏の武勇を脚色する傾向が感じられ、その全てを史実として受け取ることは難しい部分があるようにも思われる。
 なお「日本城郭大系」によれば、天正年間の初め頃に由良成繁が上杉謙信の急死に乗じて築城したとの説を掲載しているが委細は不明である。

※当該所在地の表記に関して、「日本城郭全集」の表記に始まり「日本城郭大系」「群馬県の中世城館跡」などでもその大字名を北隣の「糸井」(旧糸井村)と記しているが、この表記についてはその所在地で見る限りでは、明らかに「マッピングぐんま」や「角川日本地名大辞典 群馬県」が記している「橡久保」が正しいものと考えられる。

※城館名表記については、「阿曾の砦」(日本城郭全集、日本城郭大系、群馬県の中世城館跡)とするものがあるが、「マッピングぐんま」や昭和村のHPなどの表記では「阿岨城」と表記していることからこれに従った。なお、天正年間の上野における真田氏の軍事活動を記した「加沢記」(※近世初期の軍記)には「阿曾の要害」として記載されている。

確認可能な遺構
 郭、二重堀の一部、標柱・説明板あり
文化財指定
 昭和村史跡 1979年3月22日指定
訪城年月日
 2017年11月29日 10時35分から10時50分
訪城の記録 記念撮影

 九十九折りと長い坂
 この直前に訪れた長井坂城からは直線距離にすれば僅か6km足らずなのですが、車で真直ぐにアプローチできるようなルートはなく赤城山西側の浸食谷を何度も大きく迂回することになります。何のかんのと谷、山、谷、山、谷、山 と3度のアップダウンと九十九折の反復などを余儀なくされて、結局のところ移動に要した時間は延々30分以上を経過、まさに「長い坂」なのでありました (^^ゞ
 それでも武尊方面の冠雪した絶景を手に取るように観望できましたので、これはこれで大きな収穫でもありました。 途中リンゴ農園とその農家、ゴルフ場、工業団地、廃車置場、別荘地とこれに関連した観光施設など土地利用の形態は実に様々なのですが、戦中戦後の開拓の時代、高度成長期の時代、ゴルフ場乱立の時代、別荘ブームの時代など、それぞれの時代を反映した土地利用の様子も垣間見えたりして興味深いものを感じました。
 城跡は圃場整備された耕地内の崖線端に立地しています。一帯は赤城山西麓の台地先端部で鬱蒼と樹木が叢生するような少し分かりにくい場所のような印象を抱いていましたが、昭和村のHPにも掲載されているように、その周囲は開けた環境であり付近の道路からも解説版などが目に入ることから全く迷うようなことはありませんでした。車での来訪者を想定し3台くらいは駐車可能な舗装済みのスペースもありますし、近くの昭和IC東側には「道の駅あぐりーむ昭和」(※足湯あり)も所在しています。肝心の遺構の方は下記の画像Bのように二重の堀跡の一部と郭跡のように見える2か所の人工地形が現存していますが、長井坂城に比べると城域も遥かに小規模でもあり遺構もそれぼと多くは無いなどのことから見学には余り多くの時間はかからないように思えました。
( 2017/12/07 )記述
阿岨城 ⇒ 画像クリックで拡大します
阿岨城 −画像A−
( 2017年11月29日 撮影 )
⇒ 石碑の説明文

阿岨城の航空写真画像 ⇒ 画像クリックで拡大します
阿岨城の航空写真画像 −画像B−
画像は1975年当時のもので、城の堀跡はこの後さらに埋め立てられているようです。
( 2017年12月7日 国土地理院航空写真画像より加工編集 )
訪城アルバム
武尊山方面 ⇒ 画像クリックで拡大
標柱と説明板 ⇒ 画像クリックで拡大
凸1 武尊山方面
 崖線部の先端付近に所在していることから、この時期になると冠雪した県北の武尊山(標高2158m)方面の素晴らしい景観も目に入ります。
凸2 標柱と説明板
おそらくは主郭と思われる高まりの下に標柱と説明板が設置されています。上記画像Bの航空写真画像にも示されているように木柵の向う側は阿岨岩の断崖となり這い上がることも下りることも不可能です。

二重堀跡 ⇒ 画像クリックで拡大
南西部の堀跡 ⇒ 画像クリックで拡大
凸3 二重堀跡
 「日本城郭大系」などに掲載されている略図では画像左側の郭部分を囲むように二重堀が描かれていますが、現在では耕地整備などによりその半分くらいが埋め立てられているように見受けられました。それでもこのように北東部の一部にはかつての二重堀としての名残が残存しています。
凸4 南西部の堀跡
 城跡南西部の堀跡で現状での深さは3mほどで堀幅は約10m以上の個所もありますが、主郭と思われる郭に沿った内堀は近年の埋め立てなどにより消失しているように思えます。

眼下の片品川方面 ⇒ 画像クリックで拡大
主郭 ⇒ 画像クリックで拡大
凸5 眼下の片品川方面
 崖線部の樹木が成長しているために幾分視界を妨げられてはいますが、眼下には片品川、その向こうには沼田市街が広がりを見せていることから、当時においては沼田城方面の様子を窺うには恰好の要害であったことが分かるような気がします。片品川からの最大比高差は約170mほどを有していますので、車で森下の集落方向に下りるときには九十九折の急坂が連続していました。
凸6 主郭
 主郭付近は公園のような整備がなされていましたので、見学の支障となるようなことがなく助かりました。なお木柵が設置されている反対側は阿岨岩と呼ばれている垂直に切り立った断崖となっているため立入は極めて危険な様相を呈しています。
また内堀のラインは画像中段の歩道に沿うような形態で存在していたように見受けられました。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係資料
「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬(「群馬県の中世城館跡1988」)」(2000/東洋書林) ⇒ 一覧表掲載のみ
「日本城郭大系 4」(1979/新人物往来社) ⇒ 解説あり
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) ⇒ 解説あり
「群馬の古城 全3巻」(山崎 一 著/2003/あかぎ出版) 「加沢記」のうち該当箇所がほぼ全文掲載されている。

■郷土史・歴史
「図説群馬の歴史」(1989/河出書房新社)
「史料で読み解く群馬の歴史」(2007/山川出版社)
「群馬県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「群馬県の歴史」(1997/山川出版社)
「戦国史 上州の150年戦争」(上毛新聞社)
「上野新田氏」(2011/戎光祥出版)
「新田一族の戦国史」(2005/あかぎ出版)
「両毛と上州諸街道」(2002/吉川弘文館)
「角川日本地名大辞典 群馬県」(1988/角川書店)

■史料
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店)  ※上野志、上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収
「戦国軍記事典―群雄割拠編」(1997/和泉書院)
 ⇒ 「加沢記」(禰津氏の元家臣筋にあたるとされる沼田藩士加沢平次左衛門が17世紀後半に執筆)の成立の経緯などひととおりの解説が掲載されている

■データベースほか
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース)
「国土地理院航空写真」
「加沢記」(国立国会図書館デジタルコレクション ※ダウンロード可能)

・2017年12月7日 HPアップ
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