群馬県内の城館跡目次
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 素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。
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1歴史伝承 2残存遺構 3訪城記録/記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考/引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2019年3月19日ブログ 二之宮赤城神社 宮下西館 大室城 赤石城
所在地
 群馬県前橋市二之宮町
歴史、人物、伝承

二之宮環濠遺構群のひとつ
 近隣に所在している「宮下西館」「二宮赤城神社」と合わせて「二之宮環濠遺構群」ともいわれているのだが、そうした包括的な呼称が地理的に便宜上付されたものか、その形態あるいは歴史的な経緯などに基づくものなのかは不明であり、またこのの無量寿寺(館)の歴史的な背景についてもその詳細は不明であるらしい。
なお、上武道路建設工事に伴う1981年の一部発掘調査により「堀と堆積土」が検出されているという。(「二宮宮東遺跡」群馬県埋蔵文化財調査事業団より)

確認可能な遺構
 筑波山古墳とその南側低地を除きほぼ消滅、
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2019年3月19日 午前10時00分から10時25分
訪城の記録 記念撮影

 古墳とその麓付近
 さてこの無量寿寺は赤城神社の東南東約300mほどの地点に所在し、「群馬県の中世城館跡」などによりますと、かつては同寺の境内地に方形の環濠跡が遺されていた旨が記されているようなのですが、残念ながら現在ではその後の境内地、墓苑の整備、周囲の宅地化などの影響により、南東部に所在している筑波山古墳(※比高約10m前後、今のところその形態と性格などの詳細は不明)とその周辺部分を除いて、地表観察からそれらの遺構を確認することはできませんでした。
 なお、この日は最初に今年の1月に訪れた平安時代末期とされる「女堀遺構」の西域をお概ね8か所ほどののブロックに分けて踏査してみました。古代末期から中世初期頃にかけての灌漑用水路跡とされてはいますが、その土木工事量の膨大さは後の時代における城館跡を遥かに凌駕する規模なのでありましたので、このあとに訪れた中世城館遺構(跡)では更にいっそうその寂しさが募りました (^^ゞ
( 2019/5/3 )記述
無量寿寺の筑波山古墳
無量寿寺の筑波山古墳 −画像A−
( 2019年3月19日 撮影 )
凸堀跡の残滓であるかどうかは定かではありませんが、画像手前のマンホールが所在する筑波山古墳と呼ばれている墳丘の南側は現在でも幾分地面が低くなっているようにも感じられました (^^ゞ

国土地理院航空写真より
国土地理院航空写真より「無量寿寺」(画像の右やや下) −画像B−
( 2019年4月11日 編集加工 )
※訂正とお詫び
 この航空写真画像の正しい表題はあくまでも「二之宮環濠遺群」とすべきなのですが、この加工作業の最終段階でようやく間違えに気づいたため最早後の祭りでありました。
作業をやり直ししやすくするためその都度上書き保存しますと、画像としての解像度が低下しますので保存は完成直後に一度だけ行います。
たまたまこれら3か所の遺構が接近しており、遺構群として把握されているという背景もあり、合理性にかこつけて「手抜きができる!」と喜んだところがこの様で、再度作業をするという気力が失せたため敢えて間違えたまま掲載しておりますのでご容赦を願います <(_ _)>

訪城アルバム
西側から
凸1 西側から
 。

凸2 真言宗無量寿寺
 上武道路の側道から真言宗豊山派筑波山来迎院無量寿寺への参道を撮影したものです。
寺伝では明応3年(1493)に降舜により創建され近世には前橋城主酒井忠清の生母が帰依し山号を筑波山と改号したといわれ、境内に設置されている文化財解説板には前橋市重要文化財の木造の十一面観音立像と地蔵菩薩立像が安置されている旨が記されておりましたが、とくに中世城館に関する記述はありませんでした。

慰霊塔
凸3 平和観音
 筑波山古墳の頂部附近には先の大戦による戦没者の方々を供養する慰霊塔が建立されておりました。

凸4 墳丘の頂部
 削平間の感じられる墳丘の頂部には様々な古碑が建立されておりましたが、城館跡との関連性を窺わせるものは見当たりませんでした。

凸5 筑波山古墳
 「筑波山古墳」と呼ばれている墳丘で、比高差は10m前後を測ることから周囲の見通しには優れた地形でありました。かりに当地が城館跡として機能していたとするならば、おそらくは物見台として活用されたのではないかと思われます。

境内南西部
凸6 境内南西部
 境内周辺で比較的開発が及んでいないように感じられる南西部の一画ですが、上記画像Bの航空写真画像から明確な痕跡を見つけることはできませんでした。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭全集第3巻」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)掲載なし
「日本城郭体系第4巻」(1980/新人物往来社)掲載なし
「群馬県の中世城館跡」(1988/群馬県教育委員会)⇒ 掲載あり

歴史・郷土史関係
「角川日本地名大辞典」(1988/角川書店)二之宮の項に無量寿寺に関する説明がある。
「戦国史 上州の150年戦争」(2012/上毛新聞社)
「上野の戦国地侍」(2013/みやま文庫)
「上野武士団の中世史」(1996/みやま文庫)
「前橋市史第1巻」(1971/前橋市)掲載なし

その他
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース) ⇒ 所在地の確認に役立つ。
「国土地理院航空写真」 ⇒ 戦後間もない時期に撮影されたもののなかには、その当時の地形を把握できるので役立つ場合もあるが、当城館跡についてはそうした情報を得ることはできなかった。


更新記録
・2019年5月3日 HPアップ
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