群馬県内の城館跡目次
トップ頁へ戻る 群馬県内の城館跡目次へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動
 素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。
群馬県の城館索引へ戻る 小神明の遠堀 小神明の遠堀のロゴ 小神明の遠堀
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2019年3月8日のブログ 小神明の砦 小神明の寄居 滋野屋敷 勝沢城
所在地
 群馬県前橋市小神明町(こじんめいまち)、勝沢町
歴史、人物、伝承

雨裂地形を利用した堀跡とも
 この遺構については幾つかのややこしい問題があるとものと考えられることから、管理人のメモ代わりとして下記のようにその要点を纏めてみた。

◎所在地について
 当該所在地について、「マッピングぐんま」の表記では「小坂小町(おさかしまち)」と記しているが、その遺構の所在するとしている個所は明らかに「小神明町」であり、一部が「上細井町」と「勝沢町」にかかっているものである。
 次に「前橋市史」によれば、「上細井町字西堀」としているが、その一方で「小神明の砦」の西600mと記している。前段の所在地については小神明町との境界部に所在していることから決して誤りであるとはいえないのだが、実際の「小神明の砦」からの距離は約300mほどであるに過ぎないものであり、些かその記述に疑問が残るように思われる。
 なお、「マッピングぐんま」などの図示によれば、北側の範囲は上武道路北に所在している現在の明和幼稚園の南側付近で、南側については県道76号線と市道の交差点以北の範囲であるように見受けられる。この範囲において地図上の計測した限りではその延長距離については約1.7kmほどであった。

◎名称/規模等について
 「マッピングぐんま」では山崎一氏の著した「群馬県古城塁址の研究上巻」を参考資料として記し「時沢遠堀」の呼称を示している。これに対して「日本城郭大系」(山崎一氏の関わりが多い)では「小神明遠堀」とし、「長さ1.6kmの堀。嶺城・勝沢城に関連する堀か」とその性格について記している。 この延長距離については「前橋市史」においても1.5kmとしていることから大きな差異は見られない。
 これに対し「群馬県の中世城館跡」(同報告書においても山崎一氏の関わりが大きい)によれば、名称を「時沢遠堀」(小神明町)としているが、その延長距離については「備考欄」において「半ば雨裂利用。長さ2.7kmと」記していることから、1km以上の差異が見られる。
 なお「時沢」の地名については近隣では上細井町の北に隣接する旧富士見村(現・前橋市)に大字名として所在しているが、今のところではこの遺構の別名ともされている「時沢遠堀」の呼称に具台的にどのような関わりを有しているのかについては不明である。

◎遺構の現況等について
 当該遺構の現況については、下記画像などが示しているように近年の圃場や流路整備によりその流路自体が変えられコンクリート製大型U字溝が設置されており、かつては土塁を伴う空堀の様相をていしたと記録されてはいるのだが、その現況から旧景をイメージすることは非常に難しくなっている。
 なお「雨裂」とは長年の雨水の流れによる大地への浸食作用に起因した溝状の地形を示しているが、普通の河川のように常に水が流れてはいない地形を指している。

確認可能な遺構
 ほぼ水路のみ
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2019年3月14日 午前11時10分から12時15分
※ただし途中で約30分ほど東側の小神明の砦へと立ち寄っている
訪城の記録 記念撮影

 用水路見学
 「日本城郭大系」「前橋市史」などの記述によると、総延長は約1.5kmほどを有する天然の小河川に人工的な加工を施した遠堀であるとされています。大胡城西方に所在している勝沢城、嶺城防御ラインであろうと推定しているのであると考えられているようですが、それにしては位置関係が合致していないようにも感じました。そうした経緯については具体的な築造年代自体も明確ではないらしく、あくまでも推測の域を出るものではなさそうにも思えます。
 現在はコンクリート製の護岸工事が各所に施されているため、かつての溝の幅やその法面の様子を窺うことは難しく、特に上流域では大型のU字溝が敷設されていました。
堤防または側道のようなものは無いことから、何とか公道や畦道を迂回しながらその流路を辿ってみましたが、何れにしましても過去におけるそうした形跡を辿ることはほぼ困難な状況となっているように思われました。
 なお今回については主に南側の「上沖町交差点付近」から「小神明霊園」付近までの延長約1kmほどを辿ってみたに過ぎないものであります。このため上武道路北側を含む残り700mほどの個所については目視してはいないこともあり、その際にもう少し体力と気力があれば嶺城方面へと足を延ばした際にあらためて踏査してみようと思いました。
( 2019/3/28 )記述
小神明の遠堀南端部付近
小神明の遠堀南端部付近 −画像A−
( 2019年3月14日 撮影 )
凸県道76号線の「上沖町交差点」方向を北側から撮影したものです。
あくまでもコンクリートの擁壁で補強された水路となっておりましたが、それてもこの部分についてはこのように大きく湾曲した地形が遺されておりました。

小神明の遠堀から赤城山方面
小神明の遠堀から赤城山方面 −画像B−
( 2019年3月14日 撮影 )
凸下記画像Dの大きく蛇行している辺りから北の赤城山を撮影したもので、偶々このように菜の花が満開となっておりました。 時折はこういう素敵な景色を眺めていないとモチベーションの維持ができない踏査活動なのであります ^^

小神明の遠堀の中央部付近
小神明の遠堀の中央部付近 −画像C−
( 2019年3月14日 撮影 )
凸現在ではこのような細い直線状の流路となっていますが、下記の画像Dの航空写真では「小神明の遠堀」と赤書きした部分に相当し、恐らくは場所によりかなり幅の広い地形でもあったように思われます。 

国土地理院航空写真
国土地理院航空写真 −画像D−
( 2019年3月28日 編集加工 )
凸青色の太線で囲んだ部分が概ね小神明の遠堀といわれている個所の中心部分に相当するものと考えられます。 この「小神明の遠堀」が写っている部分は直線距離にして約500mほどの範囲です。
なお、編集加工の際に入れ忘れましたが、「群馬県の中世城館跡」の情報などと照合しますと、「米軍」の文字の上あたりが「小神明の寄居」となり、「航空写真」の「航」の文字の上の黒っぽく木の生えている個所に土塁のような形跡が遺されていたようにも感じられますがあくまでもその詳細は不明です。
有料の画像を入手すればもう少し鮮明な画像を得られるのですが、「無料の高解像度」を元にしていますのでこれが限界でした (^^ゞ

訪城アルバム
南端部付近
凸1 南端部付近
 上沖公民館への案内板が所在する個所が概ね南端部となるのかも知れません。
この画像から見ても分かるように、南方の旧利根川流路のひとつでもある桃ノ木川に向ったやや傾斜のある段丘崖のような地形を呈していました。
なお、ここから西北に約200mの地点には「小神明の寄居」が所在しています。

水路
凸2 水路
 現在では画像右側の方に続く小さく直角に曲がっている個所ですが、かつてはこの画像の右側付近に部分的に土塁跡の形跡が確認された模様です。

水路
凸3 水路
 「画像2」から100mほど少し先の北西方向にカーブしている個所です。 なお画像左側の少し高くなっている地形は空堀跡とは無関係です。

野仏
凸4 野仏
 全く知識がないもので阿弥陀三尊などであるかどうかは不明ですが、三体の仏様を浮き彫りにした石造物がこの空堀跡の傍らに祀られておりました。

集落内
凸5 集落内
 小神明霊園の南方に所在する集落内の水路部分ですが、流量の関係でさらに幅が狭まっているという印象があります。

秋葉山
凸6 秋葉山
 字西曲輪附近に所在している石造物で、この個所から東へ100mほどすすむと、「小神明の砦」へと到着します。

凸7 六地蔵供養石幢
 「寒念仏供養六地蔵石幢」と呼ばれる「念仏供養」と「地蔵信仰が」まとめられた石造物で、宝暦5年(1755)に当時の小神明村の村民の方々が奉納されたということです。

水路
凸8 水路
 小神明霊園付近の堀跡ですが、この辺りからはさらに細い水路として残されておりましたが、この日は朝/昼食抜きでもあったことからそろそろこの辺りでモチベーションが保てなくなり始めましたので、これより北側方面の踏査を断念いたしました (^^ゞ

浅間山方面
凸9 浅間山方面
 駐車場所の関係で、再び「小神明の寄居」近くまで戻ってきたところ、春先のために少し霞んでいたものの少しずつ浅間山が見え始めました。
※電線が写りこんでいたのでいくぶん画像補正してあります。
交通案内


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭全集第3巻」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)掲載なし
「日本城郭体系第4巻」(1980/新人物往来社)掲載あり
「群馬県の中世城館跡」(1988/群馬県教育委員会)掲載あり

歴史・郷土史関係
「角川日本地名大辞典」(1988/角川書店)
「戦国史 上州の150年戦争」(2012/上毛新聞社)
「上野の戦国地侍」(2013/みやま文庫)
「上野武士団の中世史」(1996/みやま文庫)
「前橋市史第1巻」(1971/前橋市) ⇒ 同書1037頁の「小神明の砦」の項より該当部分を下記に引用した。
 砦の西600mに遠堀跡がある。そのあたりの字名を西堀(上細井町)という。これは、自然の地形を利用し人工を加えた空堀で、南北に1500mの長さをもっている。勝沢城とこの砦(※小神明の砦)に共通の「捨て堀」(城から離れて、敵の行動を阻害するために掘った堀)であろうと思われる。

史料、地誌、軍記物
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
 「上毛古城塁址一覧」(山崎一氏/編纂)
 時沢遠堀 富士見村時沢、前橋市勝沢、同上細井との境界にある。約1キロの空堀。勝沢城の遠堀か。

その他
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース) ⇒ 所在地の確認に役立つ。
「国土地理院航空写真」 ⇒ 戦後間もない時期に撮影されたもののなかには、その当時の地形を把握できるので役立つ場合もあり、当該遺構についても参照し編集加工の上引用した。


更新記録
・2019年3月14日 HPアップ
トップ頁へ 群馬県内の城館跡目次へ この頁の最上段へ移動