凸 陽気は1時間ほどの間に早春から初夏へ
始めに暫時駐車をさせていただく上沖町の旧村社である神明宮乃至大国主神社を参拝してから、境内北側の出入り口を経由して徒歩にて北西約100mに位置する小神明の寄居へと向かっいました。この神社境内は比高差は数メートルほどに過ぎないのですが、極めて南方の旧利根川右岸方面の眺望に優れていることが分かりました。この寄居は同神社境内と市道を挟み隣接しており、何らかの関わりがあることが考えられるのかも知れません。
「城郭大系」によれば、「附近地侍の寄居であり、小神明遠堀より前の時期に築かれた塁」としているのですが、今のところそれらについての詳細については理解しておりません。
同地の南西部には上之山霊安堂を含む霊園が所在し、近年では「ぽっくり地蔵尊」という石仏の小堂宇も建立されております。このほかには北西と北東部に1軒ずつ民家が所在してますが、それ以外は畑地の耕作地として利用されていました。
電子国土に記されている等高線や「群馬県の中世城館跡」の略測図などを勘案する限りでは、本来は花期の画像の南東に当たる手前部分がもう少し低地を形成していたもののように読み取れました。 このため恐らくは、耕作地としてある程度の盛り土が行われ、市道の坂道の傾斜を緩やかにするような地形の変更が行われているようにも思われました。
明確な遺構はすでに消滅して久しいようですが、「群馬県の中世城館跡」などによると、この一帯には寄居の地名が伝わると共に1980年頃までは土塁と堀が一部存在していたことが推察されます。 また寄居跡とされている西側の隣接地に些か悩ましい地形が遺されているのですがその詳細については分かりません。
ここまでは思いのほか足回りの方はどうにか持ちこたえていましたが、このあとは果たして何か所廻れるのかという不透明さに加えて、「遠堀」に関しては駐車スペースの確保は集落内でもあることからまず難しいように感じ始めていました。 このためにこのあとは一度上記の神社まで戻り、短時間に急激な気温の上昇したという天候の変化も加わり、脱水症防止のため水分補給を行うこととし、暫時小休止後にあらためてその後の作戦を立てなおすことになりました。
( 2019/3/24 )記述
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小神明の寄居の南東部 −画像A−
( 2019年3月14日 撮影 )
凸電子国土に記されている等高線や「群馬県の中世城館跡」の略測図などを勘案する限りでは、画像左側南辺に堀跡などが所在していないことから、本来はこの画像の南東に当たる手前の部分附近があるていど谷津状を呈する地形を形成していたもののように感じました。
従って恐らくは、その後に耕作地としてある程度の盛り土が行われ、市道の坂道の傾斜を緩やかにするようなある程度の地形の変更など加えられているようにも思われました。
小神明の寄居の西辺部 −画像B−
( 2019年3月14日 撮影 )
凸「小神明の寄居」に関する明確な遺構はすでに消滅して久しいようですが、「群馬県の中世城館跡」などによると、この一帯には寄居の地名が伝わると共に1980年頃までは土塁と堀が一部存在していたことが推察されます。 また寄居跡とされている西側の隣接地には、このように些か悩ましい地形が遺されているのですがその詳細については分かりません。
なお、いちおう画像の手前部分付近に現在の道路と並行する形で、かつての西側の堀跡が存在していた模様です。
国土地理院航空写真 −画像C−
( 2019年3月24日 編集加工 )
凸おおむね赤色の枠内の耕作地附近が「小神明の寄居」と想定されている範囲で、水田面からの比高差は10メートル前後ではありますが、南西を流れる竜ノ口川、桃ノ木川方面の眺望に優れた占地であることが分かります。また、南西約800mの地点には「滋野屋敷」が所在しています。
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