群馬県内の城館跡目次
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 素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。
群馬県の城館索引へ戻る 小神明の砦西方 小神明の砦のロゴ 小神明の砦東堀跡
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2019年3月14日のブログ 上泉城 亀泉城 滋野屋敷 小神明の寄居
所在地
 群馬県前橋市小神明町443から448
歴史、人物、伝承

方約100mの砦跡
 「小神明遠堀」の東方約200mの地点に所在していおり、「前橋市史」などによれば、方100mの単郭の砦とし、「城郭大系」では嶺城の支砦としている。また「前橋市史」では、かつては南面の堀跡と東側の大手虎口等が認められたとも記されているが、現在では東西の南北方向の二筋の小流を除いて往時を偲ばせる形跡は殆ど確認することができないという状況にある。
 また同地には「四ツ門」あるいは「中」などの古地名が残りかつての屋敷ないし館の存在を窺える。なお「前橋市史」では「四ツ門」の地名から四方に虎口が開かれた構造を想像するとの記述があるが、これについては「四脚門」を意味する可能性も想定されることもあり何れとも決し難いようにも思える。また「群馬県の中世城館跡」によれば、関連する人物として関口政次の名を挙げているのだが、今のところこの関口氏の事跡については把握していない。
 なお「小神明」の地名については、「芳賀村誌」によると、かつて当地が細井御厨に含まれる領地であり、「古神明」といわれ、のちに「小神明」に表記が変わったという。 「角川地名大辞典」によれば、同時代の史料として天正20年(1592)2月27日の平岩親吉知行書立(※徳川家臣、甲府市金桜神社文書)が伝わり、「一 63俵1斗4升 小神明之内」と記されており当地との関連が推定されている。

確認可能な遺構
 ほぼ消滅か
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2019年3月14日 午前11時45分から12時05分
訪城の記録 記念撮影

 水路が目立つ砦跡
 赤城山南麓の台地上に所在していますが、周辺に所在している小神明の寄居、滋野屋敷、亀泉城などとは異なり、いくぶん北側から南側にかけて緩やかな傾斜がかかっているものの、台地辺縁部ではないことから余り比高差を感じない平坦地に所在しているというような印象を持ちました。
この城館跡には現在3軒ほどの民家が所在しておりますが、西端と東端のそれぞれについて南北を流れている小流以外には「小神明の砦」としての名残は感じられませんでした。
なお、この砦跡へは気温が急上昇するなかを「遠堀」の確認作業と合わせて、上沖町の神明社方面からテクテクと歩き続けておりました。これにより次第に水分不足気味となっていたために時折記憶が曖昧になっていたようです。
今回のルートにはコンビニや公共施設が余りありませんので、この日は午前中暫くの時間は寒さと生理現象との闘いで、昼前からは一転して暑さとの闘いに変わり砦跡近くの格安自販機の前でしばらく考え込みました (^^ゞ
( 2019/3/25 )記述
小神明の砦の西方の道祖神
小神明の砦の西方の道祖神 −画像A−
( 2018年月日 撮影 )
凸小神明の砦の西隣に所在している道祖神と野仏で、一帯は耕作地のほかは宅地が点在しておりました。この辺りの字名は西曲輪と呼ばれていたようですが、とりたてて城館跡のような形跡は感じられず、「前橋市史」によりますと砦内の郭を指すものでは無くあくまでも「西の場所」という意味合いであろうと記しています。

小神明の砦東側
小神明の砦東側 −画像B−
( 2019年3月14日 撮影 )
凸砦跡の東側部分の堀跡で現在も細い水路が南流していました。奥の方に見える山は赤城山です。

国土地理院航空写真
国土地理院航空写真より編集加工 −画像C−
( 2019年3月24日 編集加工 )
凸おおむね赤色の枠内が小神明の砦の範囲内と考えられているようで、この航空写真画像からは南辺の堀跡と推定される地形(東西方向にのびる白っぽく細長い部分)を確認することができますが、一方で北側の堀跡についてはこの頃から既に分り辛くなっていたのかも知れません。 なお、東側の水路については現在はほぼ直線であることから、その後に流路の改修が行われたことが分かります。

訪城アルバム
字西曲輪付近
凸1 字西曲輪付近
 画像手前側の畑が字西曲輪と呼ばれている辺りの耕作地で、その奥の方が砦跡の中心部となるものと考えられます。
また画像右端の民家は画像Cの航空写真画像にはないことから比較的新しい民家である模様です。

小神明の砦西側
凸2 小神明の砦西側
 堀幅は減じられているものと思われますが、砦跡の東側を南流している水路を北側方向から撮影しております。

赤城山方面
凸3 赤城山方面
 前の画像の個所から北側を振り向くと、否応も無くこの赤城山の雄姿が目に飛び込んできます。

砦跡の北辺部付近
凸4 砦跡の北辺部付近
 あまり確実ではありませんが、「群馬県の中世城館跡」などに掲載されている略測図、上記の航空写真などから想定しますと、おおむねこの辺りが小神明の砦の北辺部に相当するように思われました。
なお「前橋市史」の記述を参照する限りでは、この現在の水路は後に掘削されたものであるように思われます。

砦跡の東側
凸5 砦跡の東側
 画像の上辺部に所在している2階建ての民家の手前辺りの畑のラインが、おそらくは小神明の砦の南辺部分に相当するものと推定をされます。

西側の水路
凸6 西側の水路
 上記の「画像2」の個所の水路を南側の市道沿いから撮影したものです。 画像右側の部分が砦跡側となります。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭全集第3巻」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)掲載なし
「日本城郭体系第4巻」(1980/新人物往来社)掲載あり
「群馬県の中世城館跡」(1988/群馬県教育委員会)掲載あり

歴史・郷土史関係
「角川日本地名大辞典」(1988/角川書店)
「戦国史 上州の150年戦争」(2012/上毛新聞社)
「上野の戦国地侍」(2013/みやま文庫)
「上野武士団の中世史」(1996/みやま文庫)
「前橋市史第1巻」(1971/前橋市)掲載あり

史料、地誌、軍記物
「日本城郭史料集」(1968/大類 伸 編集)
 ⇒諸国廃城考、諸国城主記、主図合結記を所収本
「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ※高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
 「上毛古城塁址一覧」(山崎一氏/編纂)掲載あり

その他
「マッピングぐんま」(群馬県遺跡データベース) ⇒ 所在地の確認に役立つ。
「国土地理院航空写真」 ⇒ 戦後間もない時期に撮影されたもののなかには、その当時の地形を把握できるので役立つ場合もあり、当該砦跡に関しても南側の堀跡と推定される地形を確認することができる。。


更新記録
・2019年3月25日 HPアップ
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