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群馬県藤岡市の城館索引へ戻る  南西方向から眺めた鮎川城 鮎川城 北側から眺めた鮎川城
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/02/22のブログ 平井城 平井金山城 飛石の砦
所在地
 群馬県藤岡市鮎川字下の段996−1ほか
歴史、人物、伝承

小林氏を城主とした平井城支城のひとつか
 関東管領山内上杉氏の本城である平井城の北西約1.5kmに所在し平井城の支城の一つと考えられ、高山一族でこの地に大きな勢力を有していたことが窺える小林氏の居城と推定されています。
 外郭部は東西約250m、南北約200mの方形で、中央やや西寄りに約60m四方の内郭(主郭)ほ有する二重方形館の構造を有し、また城域の東側には約2mほどの比高差を有する河岸段丘状(「下の段」との字名が残る」)の地形がの存在しているため、ほぼ地形的に東西に分断されています。なお、南側の微高地に続く部分を除き残りの三方は水田であったことが窺えることから、当時の鮎川城周辺は低湿地が広がっていたものと想定されます。
 道路の東側に所在する城跡と同規模の広さを有する中学校の一帯が元々どのような地形を呈していたのかについては判然としませんが、平井城の支城という役割を担うにしては、南から北へかけて僅かに傾斜が見られる程度の平坦地に所在し、また比較的単純な構造の二重方形館という形式であることから見て、どちらかといえば有力家臣層の居館という性格が強いもののように思われます。

(「藤岡市史 資料編」等より)
確認可能な遺構
 堀跡(用水路)、土塁跡、郭跡?
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年2月22日 16時40分から17時00分
訪城の記録 記念撮影

( 2008/10/15 )
 真冬の黄昏
 この日は午前中から午後にかけて平井金山城に4時間ほど籠城して2度目の踏査を行い足元はふらふら状態。それにも拘らず、帰路の途中の日没までの僅かな残り時間に訪問したものです。2月のこの時期で夕方の好天というのは実に有難く、夕闇せまるこの時間でも平地の城館跡ならば何とかなるようであります。
 城館跡には中世から続く旧家の系譜につながると思われる民家が3軒ほど点在。東側の堀跡と思われる水路沿いには高さ1メートルほどの土塁跡と推定される地形も健在。しかし道路の脇から拝見していると、奥の方から突然黒い大型犬が物凄い勢いでこちらに向かってダッシュ。盛んに吠えまくり、番犬としての任務をを忠実に果たしておりました。尤もその間には幅の広い用水路(推定堀跡)と防護柵が備えられ、意にそぐわない番犬とのスキンシップに至るようなこともなく。
 南東部の旧家の墓地を拝見し、城館跡を南北方向に分断している2mほどの河岸段丘状の地形を確認。さらにこのあと、概ね4方向からの遠景を撮影してこの日の調査を終了。

「鮎川城」北側からの遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
日没直前の鮎川城
( 2008/02/22 北側より撮影 )
訪城アルバム
「鮎川城」東側外郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
「鮎川城」西側外郭 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 鮎川城東側外郭
 この竹林の中にも恐らくは土塁跡と推定される盛土が存在していそうな雰囲気なのですが、ただでさえも薄暗い竹林に加えて黄昏時のためその姿を目視することは叶いませんでした。
 なお、ガードレールとの間の用水路が堀跡の名残りであると推定され、加えて東側の防御構造から考えますとこの道路の一部も堀跡であったのかも知れません。
「鮎川城」東側からの遠景
凸2 鮎川城西側外郭
 西側から南側の外郭部分の畑の土にはかなりの川原石が混入しているのでしょうか、高さ40cmほどの「新たな石塁」が構築されておりました。
 画像右側の屋敷林のあたりが、2mほど地表自体が高くなっている「字下の段」に相当するはずです。

⇒「元屋敷」と称される内郭(主郭部分)と推定されている辺り

鮎川城を南北方向に貫く段差 ⇒ 画像クリックで拡大します
黄昏時の子王山城、平井金山城、西御荷鉾山方面 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 鮎川城東側段丘の謎
 一般にはこの段丘状地形の存在により城域の東西が分断されてしまうように思われます。またさらに内郭(主郭)の存在する部分が、段丘状地形の下方に所在することも不可思議である印象が強く、然も、この上方に所在する段丘状地形の小字名がどういう訳か「下の段」と呼称されていること等いろいろと謎の多い城跡なのでありました。

凸4 子王山城、平井金山城、西御荷鉾山方面
 日没間際の鮎川城跡北辺から遠望した子王山城金山城(平井金山城)、及び良好な遺構を伴う数多くの山城が点在する鬼石、三波川渓谷を代表する名峰御荷鉾山。
 なお、山内上杉氏本城の平井城は金山城の手前の麓に所在しますので、正に目と鼻の先の位置関係にあることが窺えます。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

「関東地方の中世城館 5 栃木・群馬」(2000/東洋書林)
「藤岡地方の中世史料」(1988/藤岡市)
「藤岡市史 資料編」(1993/藤岡市)
「藤岡市史 通史編−原始・古代・中世」(2000/藤岡市)
「藤岡市の歴史年表」(1996/藤岡市)
「群馬県多野郡誌(1927刊行の復刻本)」(1994/春秋社)

■史料
■「群馬県史料集 別巻1古城誌篇」(1969/群馬県文化事業振興会)
 ⇒ 高崎城大意、上州古城塁記、上毛古城記、上毛古城塁址一覧を所収
■「上野資料集成」(1917/煥釆堂本店) ⇒ 上野志、上州古城塁記、上毛国風土記、伊勢崎風土記を所収

・2008/10/16 HPアップ
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