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千葉県柏市の城館索引へ戻る  鷲野谷の遺構(遠景) 鷲野谷の遺構(バナー) 鷲野谷の遺構(土塁)
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/12/02のブログ 鹿島城 箕輪如意寺城 大井追花城
所在地
 千葉県柏市(旧沼南町)鷲野谷字妙見内、元屋敷、松葉、出口ほか
歴史、人物、伝承

鷲野谷城とは別の城館域の可能性も
 鷲野谷地区の集落内には星神社を始めとする幾つかの土塁状の地形が散見されています。こうしたことから古くは「千葉県東葛飾郡誌」(1923/千葉県東葛飾郡教育会)においても、「手賀村大字鷲野谷妙見社を中心とせる高地一帯に古き圍(かこ)ひ土堤、また屋敷跡と見るべき地所々に存す、殊に妙見社周圍は築堤を以て圍まる(妙見郭)...」と記されております。
 また、「沼南町史台1巻」(1979)でも「...築城遺構と思われる土塁、空堀址および腰郭と思われる地形が星神社を中心しする周辺に発見される」とし、つづけて「道路の拡幅などにより昭和30年代以降の破壊進度には著しいものがある」といい、それでも「残存する遺構と小字名および地理的条件は、本城と呼ばれる諸条件を備えている」とし、「元屋敷、葉山、松葉(⇒「的場」の転訛と推定)、出口、古井戸等」の小字名を示し、「それらは城の郭配置とその付属址を示していると思われる」と述べ、その時代背景については「防御の重点を南面においたものと考えられ、...妙見内(小字)を中心とする地域が城とすれば、遺構などから広範囲な城であり、戦国期の築城と考えられる」としている。
 鷲野谷集落が所在している鷲野谷台地は西側の狭窄部で岩井、鹿島方面とはほぼ隔絶された地形を呈しています。従ってその狭窄部に空堀を穿つことにより台地としての独立性は高まりますが、残念ながらそうした形跡は残存してはおりませんでした。

確認可能な遺構
 土塁、郭
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年12月2日 15時15分から15時45分
訪城の記録 記念撮影

 散見される土塁状地形 ( 2010/08/15 記述 )
 当該地域の地誌である「東葛飾郡誌」にも、「妙見社を中心とせる高地一帯に古き囲い土堤、また屋敷跡と見るべき地所々に存す」と記されているように、星神社(妙見社)と香取大神宮並びに周辺の民家などに土塁状地形が散在しています。
 民家周辺の土塁については、なかでも集落の中心部に所在する長屋門を有する名主階層と思われる屋敷周辺のものが圧巻ですが、それが近世以降の屋敷構えにともなう築造なのかどうかは判断が付きかねます。
 なお、香取大神宮への道は途中で完全な行き止まとなりますが、後から考えれば、今一度元来た道へと戻って東進すれば鷲野谷城方面へ直行できた...などと後悔しても始まらないのでありました。一方、その代わりに現用と思われる茅葺の古民家にもめぐり会うこどとができました。また当該歴史的な建造物はほぼ台地中腹付近に所在していることから、少なくとも幕末以前における手賀沼の氾濫予想水位が推定できそうにも思えたのでありました。

旧家の土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
旧家前の土塁 −画像A−
( 2009/12/02 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については現地での調査等を元にして作成いたしました。

鷲野谷の遺構(概念図) ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
鷲野谷集落への坂道 ⇒ 画像クリックで拡大します
星神社(妙見社)参道脇の土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 鷲野谷集落への坂道
 切通し状の坂道の両側の地形も、とても気になってしまう魅力的な人工地形を呈しておりました。
 築造年代は不詳ですが、鷲野谷台地上には少なくとも4か所ほどの人工的な土塁状の地形を確認することができます。
凸2 星神社(妙見社)参道脇の土塁
 鷲野谷の集落が所在する台地に登り終えた途端に目に飛び込んでくる土塁状の地形です。無論、星神社への参道に伴う築造物とも考えることができますが、それにしては道路の反対側にはそうした形跡を確認できないのであります。

星神社(妙見社)参道脇の土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
星神社社殿と境内 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 星神社(妙見社)参道脇の土塁 
 北側の神社方向から撮影した土塁ですが、残念ながら画像の向かって右側方向を意識しているような都合の良い形跡は見受けられませんでした。
凸4 星神社社殿と境内(4−1)
 星神社(妙見社)の社殿と鳥居並びに境内の画像です。この個所の土塁(4−2)については、東西両辺に概ね境内地を取り囲むように築造されておりました。同様の個所(4−3)を道路側から撮影したもの


香取神社(香取大神宮)境内の土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
香取神社の台地 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 香取神社境内の土塁
 香取神社(神額は香取大神宮とありました)の周囲にも、参道の土塁以外に境内を郭状に取り囲んだ土塁地形を認めることができます。土塁幅およびその高さから神社に付属する土塁の規模を明らかに超えているという印象が濃厚です。
凸6 香取神社の台地
 香取神社が所在する台地(比高差約15mほど)を南西方向の谷沿いから撮影したもので、所謂「城山」といったような景観を見出すことができます。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
⇒「鷲ヶ谷城 妙見社を中心に遺構が多く、妙見社は築堤で囲まれている(妙見郭)。同社の東方三、四百mに「とうかびょう(⇒稲荷峠)」という丘の突出部があって、里人はこれを城山(⇒現在は城山聖地霊園の造成によりほぼ消滅しています)と呼ぶが、狭いところであり、本城はむしろ妙見社のあたりで、「とうかびょう」はこれの出城であろう」と記載されているように、「千葉県東葛飾郡誌」からの引用と推定される記述に止まっています。
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版
「東葛の中世城郭」(千野原靖方/2004/崙書房)

■郷土史・歴史関係
「沼南町史」(1979/沼南町)
⇒妙見社を中心とした城館の考察に詳しく、上記のほかにも「ある時期において岩井地区と鷲野谷地区を同一の勢力下におかれたことを推測し、本土寺過去帳から「明応2年(1493)飯野左衛門太郎鷲(野)谷ニテ打死」との記述を引用し鷲野谷城の存立期を知る手掛かりになるものと思われる」と述べている。

「東国闘戦見聞私記」(1997復刻/常野文献社)
⇒「天正6年、手賀攻の項に鷲野谷城主、原勘解由」等の記述もあるが、近世に編纂された半ば講談本にも似た戦記物であるが故に、その史料的信憑性はきわめて少ないとされている。
「千葉県東葛飾郡誌」(1923/千葉県東葛飾郡教育会/復刻版)
「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房)
「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社)
「利根川の歴史」(2001/国書刊行会)

■史料


■その他


・2010/08/15 HPアップ
・2019/06/21 画像ズレ補正
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