凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)
■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版
「東葛の中世城郭」(千野原靖方/2004/崙書房)
応永2年(1395)と推定されている南相馬村田数注文(相馬文書)には、「ミのわ 6丁6反60歩」と記され相馬領に属していた事が記されているが、元禄郷帳でも僅かに88石余とあり必ずしも一定の生産力を伴う大規模な集落ではなかったと考えられる。
■郷土史・歴史関係
「沼南町史」(1979/沼南町)
⇒墓地拡大造成、宅地化進行以前の縄張りの説明が比較的詳しく記されるが、残念ながら縄張図としては示されてはいない。また箕輪城との関係については、「その規模と防御技術の面においても屈指である箕輪城とは根城(本城)、付城(出城⇒箕輪如意城)の関係にあったものではないかと推測される」と記している。また城域を43アールと見ているが、現地の地形から城域を推定すると少なくとも東西200m、南北100m以上の規模が想定されるので、いささか過少気味の評価とも考えられる。
「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「千葉県東葛飾郡誌」(1923/千葉県東葛飾郡教育会/復刻版)
「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房)
「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社)
「利根川の歴史」(2001/国書刊行会)
「戦国房総人名事典」(千野原靖方/2009/崙書房)
■史料
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■その他
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・2010/08/13 HPアップ
・2019/06/20 画像ズレ補正
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