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素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。

千葉県印旛村の城館索引へ戻る  瀬戸浅間神社 瀬戸浅間神社 瀬戸宗像神社
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/03/18のブログ 松虫陣屋 鎌苅館 立城
所在地
 千葉県印旛郡印旛村瀬戸
確認可能な遺構
 削平地形ほか?
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年3月18日 13時40分から14時30分
訪城の記録 記念撮影

 あくまでも念のため
 瀬戸村は「元禄郷帳」では476石余とされる近世初期から明治22年までの村名で、以後六合村の大字となり昭和30年からは印旛村の大字として現在に至ります。
 瀬戸浅間神社の裏山が気になる地形ですが、伝承、地名等を含めて城館に関係する歴史的な要素は皆無で、あくまでもただひたすらに地形上は印旛沼方向に張り出した地形であるというだけの拘りです。
 一応2か所ほどの削平された平場の存在は確認できましたが、見方次第では腰郭状地形に見えなくもないような状況ではありました。しかし無論冷静に判断をすれば、全体としてはどう見ても尾根筋の緩斜面と判断すべきなのかとも。
 また、瀬戸村の中心部に所在する瀬戸宗像神社向いの塚については、神社の土塁も含めて余りにも魅力的な地形でしたのでついつい出来心で...と、この地域はこのように台地状地形という理由だけで調べ始めますと、近世以降の1か村あたりで最低でも2、3か所の調査が必要となり、恰も埼玉県滑川町のような様相を呈し始めてしまうのでありました。

( 2010/02/01 記述 )

※神社名称については県別マップルを参照しましたが、「稲荷神社」であるとのご指摘をいただき訂正をいたします。(2010/10/11 記述)
浅間神社裏側の地形 ⇒ 画像クリックで拡大します
瀬戸浅間神社裏の丘陵地帯 −画像A−
( 2009/03/18 撮影 )

(注1) 「矢印と番号」はおよその撮影地点と方向を示しますが、あくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)この人工的地形は願望と妄想が錯綜したものに過ぎません。

瀬戸浅間神社付近の概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
瀬戸宗像神社近くの塚 ⇒ 画像クリックで拡大します
瀬戸浅間神社の丘陵全景 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 宗像神社付近の塚
 10世紀末の寛和年間に筑前の宗像神社から勧請されたと伝わる宗像神社境内南側には、近世以降の民間信仰に関連する石碑と印旛沼干拓に関わる記念碑が塚の上に建立されていました。
 ただし印旛沼方面に張出した台地集落のほぼ中央部の鋭角に分岐した位置に所在していましたことなどからみて、そう古いものではないようにも思われます。
⇒ふと撮影したくなる宗像神社の土塁
同上

凸2 瀬戸浅間神社の丘陵
 現在の印旛沼西部調整池が北方に大きく湾曲した対岸に突出した台地で、東西に入谷津が喰いこみ半ば独立した地形を形成しています。
 人工的に整形されたように見えなくもない地形を伴いますが、干拓以前の農耕地や宅地などであった可能性も少なくはないものと考えるべきでしょう。
浅間神社の境内
⇒無関係とは思いつつも些か気になる西側丘陵地帯
⇒日照条件等から耕作地跡と推定される平坦地
尾根筋の平坦な地形
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係


■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「印旛村史」(1984/印旛村)
「千葉県印旛郡誌」(1912刊/1971崙書房より復刻)
⇒瀬戸宗像神社の縁起について略述されているだけです。
■史料


■その他


・2010/02/01 HPアップ
・2019/06/19 画像ズレ補正
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