素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。
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2009/03/02のブログ 凸松虫寺 凸松虫陣屋北東 凸城ノ内城 | |
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千葉県印旛郡印旛村松虫字談義所 |
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土塁、小口、空堀、腰郭など |
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なし |
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2009年3月2日 14時40分から16時00分 |
( 2009/03/02 撮影 )
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)・「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(1995報告/2000刊/東洋書林) ⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布報告書1」(1995報告)を複製し縮小の上刊行したもの。ただし、収録されている「松虫陣屋概念図」については、現況と「城郭と中世の東国」などに照らしますと、南北の方位が180度近く異なっているものと思われます。 「城郭と中世の東国」(千葉城郭研究会編/2005/高志書院) ⇒200頁から202頁にかけて、現存する「松虫陣屋」の遺構について「縄張図」を含む記述があります。なお、2009年3月2日の時点において、「松虫陣屋」の遺構は「北総鉄道」の延伸事業により南側部分を中心として側道法面構築のために一部消失しておりました。 ■郷土史・歴史関係 無論直接の記述がある訳ではありませんが、この地域の戦国時代の歴史や伝承などを知る上で大変役立ちます。 「千葉県の歴史散歩」(2006/山川出版社)、「千葉県の歴史」(2000/山川出版社)、「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)、「本埜の歴史」(2008/本埜村)、「印旛村史」(1984/印旛村)、「常総戦国史」(川島 建/2002/崙書房) 「千葉県の歴史100話」(川名 登 編著/2005/国書刊行会) 「東国戦記実録」(小菅與四郎/1926/崙書房)両書に「松虫陣場」・「東国闘戦見聞私記」(1997復刻/常野文献社) ⇒「軍記物」とされる上記の両書には、今のところ「松虫陣屋」あるいは「松虫陣場」に関する記述は見当たりません。 「千葉県印旛郡誌上下巻」(1912刊/1971崙書房より復刻) ■史料 ・岩波文庫版「利根川図志全六巻」(赤松宗旦/1938//岩波書店)⇒1994年にリクエスト復刊された。 ⇒幕末の安政年間に完成をみた下総国布川(:現在の茨城県北相馬郡利根町)の医者である赤松宗旦の編纂による地誌。民俗学者として高名な柳田国男が校訂し解題を付して発刊をされたもの、同氏によれば「東国戦記」とも称するとされています。 巻末には簡易な索引が掲載されているものの、残念ながら余り詳細とはいえず実用性を欠き、また復刻版であることなどから全体として印刷自体が些か不鮮明な印象が拭えない傾向にあることは否めないようです。 ・「茨城県史料 近世地誌編」(1968/茨城県) ⇒「利根川図志」を所収し、索引が掲載されていない、図版が更に縮小されているという部分を除けば、上記の「岩波文庫」版よりも印刷も鮮明で遥かに読みやすく、底本は第4巻末に短歌6首と俳句56句が掲載された題名が楷書体の「茶表紙」本によると記されています。 また、同書に引用されている「常総軍記」巻20によると、小林、笠神の両城を制圧した栗林義長(あくまでも架空の人物とされる)勢が、「松虫の陣場」において千葉勝胤(1470-1532)勢の襲来を待ち構えるという旨が記されています。然し近世に編纂された軍記物という性格から、その信憑性については疑問の余地が大きいものと考えられます。(何れも「利根川図誌」巻4に収録) ■その他 探訪にあたり参考とさせていただいたサイト ⇒ 「余湖くんのホームページ」 ・2009/12/12 HPアップ
・2019/06/18 画像ズレ補正 |