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千葉県印西市の城館索引へ戻る  山王台遺跡 山王台遺跡のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2010/12/05のブログ 浦部竜崖城 歓喜院東遺構 歓喜院の土塁
所在地
 千葉県印西市浦部字山王下411−3ほか
歴史、人物、伝承

浦部竜崖城との関連
 「奈良文化財研究所遺跡データベース」「ふさの国文化財ナビゲーション」などの情報によれば、縄文時代、弥生時代をふくむ中世の複合遺跡であり、市文化財センター報告書(1999)によれば北宋銭、小刀、焼物の中世遺物が出土し、堀で区画された墓域を含む堀跡が検出されたとのことである。
 浦部竜崖城が所在する台地のの北端部に所在していることから、これに関連した城館跡とも推定されているが、その全体像については不明な部分が多いものと考えられる。

確認可能な遺構
 舌状台地地形のみ(地表遺構なし)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2010年12月5日 13時15分から13時20分
訪城の記録 記念撮影

 眺望良好 ( 2010/12/08 記述 )
 南手賀沼南岸の舌状台地北端部に所在し利根川方面へと続く北方領域の眺望に優れています。南西約200m付近に所在する浦部竜崖城の城郭遺構に隣接し、往時には北方の手賀沼方面を監視するなどの役割を担った郭群の一部を形成していたものとも推定されますが、後世の台地の宅地化、耕地化などの進行によりそういった関連性を確認することは困難な状況です。
 近年の発掘調査後には地域のコミュニティーセンターである「永治会館」が建設されるとともに、北側中腹の民家宅地の開発などにより大きく地形の改変がすすみ、もはや舌状台地自体の旧状を推定復元することさえも難しいという印象でした。

山王台遺跡
舌状台地基部付近(永治プラザ)
( 2010/12/05 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「電子国土」の情報などを基本に作成いたしました。

山王台遺跡概念図
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版→掲載なし

■郷土史・歴史関係
「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房)
「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社)
「利根川の歴史」(2001/国書刊行会)

■史料
「利根川図志」(赤松宗旦/1938/岩波書店)

■その他
「ふさの国文化財ナビゲーション」HP
「奈良文化財研究所遺跡データベース」HP

・2010/12/05 HPアップ
・2019/06/17 画像ズレ補正
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