凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)
■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版
「東葛の中世城郭」(千野原靖方/2004/崙書房)
■郷土史・歴史関係
「白井の中世を探る」(平成12年度企画展解説資料/白井市郷土資料館)
「白井のあゆみ」(2005/白井市郷土資料館)
「しろいの散歩みち」(白井町役場)
→「東国戦記実録」を引用し、「手賀合戦」が「天正7年(1579)4月6日に名内台の戦いを以て火ぶたが切られた」旨が記されるとともに、名内城について「砦のような出城」と推定をしている。
「白井の地名」(2005/白井市郷土資料館)
→名内城の存在と、粟島神社勧請の経緯に関する伝承が略述されている。
「白井の伝説と文化財」
→城跡南方の粟島神社は、「永禄年間(1558−1569)に名内村領主である千葉家(高城氏)家臣伊藤左馬助守胤が紀州加太粟島神社より勧請し建立した」との縁起が記されている。(「しろいの散歩みち」にも同様の記述あり)但し家臣筋である伊藤氏が高城氏の通字である「胤」の一字を拝領し諱の下の文字に加えるということは考えにくいことから、一部に誤伝を含む伝承である可能性想定される。
「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「東国戦記実録」(小菅與四郎/1926/崙書房)
茨城県筑波郡足高村(現つくばみらい市)の小菅與四郎(こすげ よしろう)氏が、「東国戦記」と呼ばれていた常総の戦国時代について記された軍記物をベースにして、明治末期から大正末年にかけて補訂を行い大正末年に編集刊行したもの。
底本とされる近世において流布していた「東国戦記」の原本(「写本」のみ現存)については、「国立国会図書館」では未所蔵ですが、「国立公文書館」および「東大史料編纂所」に写本(「異本」か)の一部などが現存するとのことです。ただしこれら現存する写本と同一のものを使用したのかについては定かではない模様です。従って、一般には史料としての信憑性には疑問の余地が多いものと考えられています。
→「手賀合戦」の項に臼井原氏と(手賀)原氏、高城氏の内紛の舞台として、(手賀)原氏側が防戦のため「名内の台に陣をとる」旨が記されています。
「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房)
「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社)
「利根川の歴史」(2001/国書刊行会)
■史料
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■その他
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・2010/08/30 HPアップ
・2019/06/22 画像ズレ補正
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