素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。
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2009/12/23のブログ 凸鷲野谷城 凸鷲野谷の遺構 凸鹿島城 | |
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千葉県柏市(旧沼南町)泉字立ノ台(たつのだい) |
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空堀(竪堀状)、帯郭ほか |
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なし |
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2009年12月23日 9時10分から9時45分 |
( 2009/12/23 撮影 )
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)・「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社) ⇒両書共に「泉城」として掲載されている項目がありますが、これは現在では手賀沼西小学校近くの一般に「泉妙見(山)城」と呼称される城跡について記されているものです。 「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林) ⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版 「東葛の中世城郭」(千野原靖方/2004/崙書房) ⇒「字古内地区に相馬氏関連の館址が所在し、その後立ノ台へと施設を拡大していったとの説を示し、」その後「戦国時代には泉妙見山城の支城として機能したかもしれない」と記しています。また、応永2年(1395)と推定されている南相馬村田数注文(相馬文書)には「いつミ 22丁」記され、この頃までは相馬氏との関連が見られる旨が記されている。 ■郷土史・歴史関係 「沼南町史第1巻」(1979/沼南町) ⇒「城郭史」(31頁から42頁)の項は、旧沼南町に所在している中世城館に関する記述に詳しいが、残念ながら記述自体も新しくはなく縄張図等の参考図も付されてはいない。 「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店) 「千葉県東葛飾郡誌」(1923/千葉県東葛飾郡教育会/復刻版) ⇒上記の 「日本城郭全集 3」、「日本城郭体系 6」と同様に「泉城」として掲載されている項目があります。しかし、これは現在では手賀沼西小学校近くの一般に「泉妙見(山)城」と呼称される城跡について記されているものです。 「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房) 「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社) 「利根川の歴史」(2001/国書刊行会) 「戦国房総人名事典」(千野原靖方/2009/崙書房) ■史料 − ■その他 − ・2010/08/17 HPアップ
・2019/06/21 画像ズレ補正 |