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千葉県柏市の城館索引へ戻る  高野館土塁 高野館 高野館の方形区画
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/12/23のブログ 柳戸砦
所在地
 千葉県柏市(旧沼南町)布瀬字高野
歴史、人物、伝承

複郭構造の方形館
 「沼南町史」では残存遺構の全体像から「中世末期城郭」の様相を呈しているとし、ある時期には館として使用し、その後てを加えて再度使用されたことを示唆している。これに対して「東葛の中世城郭」では機能していた時期は特定できないとしつつ、遺構の防御性の脆弱性から戦国盛期の城館ではなくそれ以前の室町期のものであったことを推定している。
 いずれにしても水田面との比高差が少なく卓越した防御性をともなった立地条件ではないということ確かであり、そのことが城館の使用年代を想定する有力な手掛かりとなるものと考えられる。
 里伝には平将門の別墅(べっしょ=「別荘」の意)と伝わり、別名「高野御殿」とも。(「千葉県東葛飾郡誌」より)

確認可能な遺構
 土塁、郭、小口ほか
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年12月23日 14時00分から14時55分
訪城の記録 記念撮影

 奇妙な眩暈感 ( 2010/08/21 記述 )
 鬱蒼とした孟宗竹の林の中に方形の土塁とこれを取り巻いていたと推定される外郭土塁が現存しています。その内郭部は東西に小口状地形を有していますが、長年の堆積物などによりやや塁線が不明瞭となっている個所も見受けられるます。これと共に郭内の地表部が外郭部のそれよりも低いという状況に些か違和感を禁じ得ないのでありました。
 また遠近両用の眼鏡使用のためなのか、はたまた止まるところを知らない老眼の進行の故かは不明ですが、見通しが良好な割にはなかなかその距離感が掴みづらいものがありました。これが奇妙な浮遊感を伴う軽い眩暈をともなうもので、今までに全く経験したことのない奇妙な感覚かと...無論、「将門伝承」に伴うものであるのかどうかは不明であります。地場の関係で方位磁石が狂いを生じたことは今までに2度ほど体験しておりますが、フワフワとした眩暈の発症というのはこの時が初めてで。
 さて、ここでも例の如く歩測を実施し、漸く土塁外部までを含め南北約50m、東西約40m長方形の内郭であることを確認。他方、南側の内郭のラインに平行する形で、低土塁を伴う空堀状地形も見て取れます。なお西側緩斜面方面にもかつては土塁遺構が残存していたらしいことを知ったのは、この編集を行っている最中なのでありました。何時の日か分からねども、眩暈を克服し再訪の折には必ずや踏査を行わねば...

小口?付近の地形 ⇒ 画像クリックで拡大します
東側の推定小口付近 −画像A−
( 2009/12/23 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「東葛の中世城郭」掲載の現況図を基本に現地での印象を加味して作成いたしました。

城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
東外郭部の土塁内部 ⇒ 画像クリックで拡大します
東外郭部の土塁上から ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 東外郭部土塁
 延長約50m弱,郭内の高さは2.5mから3m以上でその南端部は西側へとカーブして消失しておりました。方形区画南側の低土塁と浅い堀跡のラインに繋がっている模様ですが土塁の基底部などの規模の相違が気にかかります。
凸2 東外郭部の土塁上から
 道路からの高さは約3mほどですが、基本的には自然地形である崖線部分を利用しているものであるように思われます。その形状は南側ほど明瞭で、北へ進むほど後世の地形改変などの跡が感じられます。

東外郭部土塁と空堀 ⇒ 画像クリックで拡大します
方形区画の南側土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 東外郭部土塁と空堀
 東側の外郭を形成しているとみられる土塁が西側の浅い谷筋に沿ってカーブする辺りの画像です。なお、左側の窪地は土塁外部に伴う空堀跡かと思われます。
凸4 方形区画の南側土塁
 方形区画は全体として眺める限りでは明確な形状を把握できますが、このように個別に土塁のラインを撮影すると、僅かな地面の盛り上がりのようにしか見えません。

方形区画の西側土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
方形区画の東側小口 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 方形区画の西側土塁
 「画像A」が示すように、方形区画のなかでは西側部分が最も明瞭な形状を呈していますが、小口状の土塁の切れ込み部分(画像手前部分)が中央付近に2か所あることから、少なくとも何れか1か所は後世の地形改変であることが推定されます。
凸6 方形区画の東側小口
 東側の方形区画土塁と小口(画像左端部分)の様子です。この日は晴天の日中で、然も整備されている孟宗竹の林なのですが、孟宗竹の太い幹とその堆積物の組合せは非常に遠近感を掴みにくいものがありました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)
⇒「布瀬高野城」(巻末一覧)として収録されている。

「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版
「東葛の中世城郭」(千野原靖方/2004/崙書房)
⇒真言宗福蔵院の記録を引用し、高野の地が千葉氏重臣である円城寺氏の所領となったとの説を紹介している。

■郷土史・歴史関係
「沼南町史第1巻」(1979/沼南町)
⇒「城郭史」(31頁から42頁)の項は、旧沼南町に所在している中世城館に関する記述に詳しいが、残念ながら記述自体も新しくはなく縄張図等の参考図も付されてはいない。

「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「千葉県東葛飾郡誌」(1923/千葉県東葛飾郡教育会/復刻版)
「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房)
「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社)
「利根川の歴史」(2001/国書刊行会)


■史料


■その他


・2010/08/21 HPアップ
・2019/06/21 画像ズレ補正
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