素人 の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願いま す。
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2009/11/16のブログ 凸戸張城 凸松ヶ崎城 凸根戸城 | |
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千葉県柏市(旧沼南町)箕輪字城山 |
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土塁、郭、空堀、土橋、腰郭、小口ほか |
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なし |
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2009年11月16日 14時40分から16時05分 |
( 2009/11/16 撮影 )
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)・「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林) ⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版 「箕輪城は直属する中世集落が存在せず、−周辺地域に対する領域支配を行う存在ではなかった蓋然性が極めて強い−その存立木の開始は15世紀末葉以降とされてよい」との性格づけがなされている。 「東葛の中世城郭」(千野原靖方/2004/崙書房) ■郷土史・歴史関係 「沼南町史」(1979/沼南町) ⇒「病院建設以前の縄張りの説明が詳しいく、築城以降としての縄張は複雑な様相を呈し、防戦堅固な築城を主眼としており、特に戦闘築城を目的とした城であると思われる。城址の位置的状況は、大津川が手賀沼へ流入する重要な位置にあり、伝えられる小金大谷口城の高城氏との強い関係にあった城と思われ、存立期は戦国末期と推定される」と性格づけています。 「千葉県の歴史 資料編中世1考古資料」(1998/千葉県) ⇒県内の発掘・学術調査が実施された中世城郭約70か所を収録 1981年と1986年の発掘調査の概要を記し、「小金城主高城氏領の北東端域の境目城」との性格づけを行っています。 「千葉県の歴史散歩」(2006/山川出版社) 「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店) 「千葉県東葛飾郡誌」(1923/千葉県東葛飾郡教育会/復刻版) ⇒「風早村大井城址(=大井追花城)に比し、規模大なり、濠の如きも今尚深く残れり、五條谷(=ごじょうや、箕輪城南方の集落名(小字))」は固(=もとより)其の城下にして、大木戸は大手の備えなりしと、約四五町にして字前田に当時の馬乗場と称する處あり、また字桝形には方形に堤を圍繞(=いにょう、周囲を取り囲むの意)せり、是れ兵員を計りたる所にて、小町山は兵士の衣類の紺を揚げしところとぞ、此城は小金領風早荘戸張郷戸張弾正の家臣高城伊勢守の守城なりと。相馬文書に、箕輪三郎あり古木領主ならん」との記事が見られます。 「柏−その歴史・地理」(相原正義/2005/崙書房) 「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房) 「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社) 「利根川の歴史」(2001/国書刊行会) 「戦国房総人名事典」(千野原靖方/2009/崙書房) ■史料 − ■その他 − ・2010/08/11 HPアップ
・2019/06/20 画像ズレ補正 ※近年宅地の拡張などにより南側の横堀などが消滅している模様である。 |