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千葉県柏市の城館索引へ戻る 松ヶ崎城主郭の土塁と空堀 松ヶ崎城バナー 松ヶ崎城主郭小口付近
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/04/16のブログ
所在地
 千葉県柏市松ヶ崎字腰巻457ほか
歴史、人物、伝承

手賀沼西端に所在する城郭
 大津川と地金堀が分岐する麓との比高差約15mほどの舌状台地上に所在する戦国期の城郭であり、当時は手賀沼の西端に突出した半島状の地形を成すと共に葛飾郡・相馬郡・印旛郡の郡境の要衝に所在しています。
 約50m四方の主郭を中心として、南側に副郭と腰郭群、北側には船着き場を備え西側の台地続きは2条の堀切で防御した比較的小規模な構造となっています。
 当初は在地領主である匝瑳氏の館としてその影響下に置かれ(「東葛の中世城郭」(※千野原靖方/2004/崙書房)より)、戦国時代末期には高城氏勢力拡大に伴いその支配下に組み入れられたものと推定されているようですが、その詳細については明確ではないように思われます。

確認可能な遺構
 土塁、空堀、櫓台、小口、土橋、腰郭ほか
文化財指定
 2004年7月1日柏市指定文化財史跡指定
訪城年月日
 2009年3月18日 12時00分から13時30分
訪城の記録 記念撮影

 城跡見学者との遭遇 ( 2010/03/18 記述 )
 事前の情報通りに、諸般の事情により城跡の樹木がきれいさっぱりと伐採されて遺構の見学としては最高の環境。とはいえ、これに伴い一部消失した土塁遺構等もあるようで、結果的には消失部分の確認も含めて逐次縄張図と照合できるという貴重な体験をさせていただくこととなりました。照合の結果としては、残念ながら南側小口の土塁の一部と崖線部分の消失している模様で、直下の腰郭群の詳細が判別し辛くなっておりました。
 なお訪れた当時は史跡整備途上にもかかわらず、話題性のある城跡ということもあり地元市民の方々を始めとして終始見学者が途切れることなく来訪され、中世城館跡の探訪で複数組の見学者に出会うという極めて貴重な体験を味わえたのであります。

松ヶ崎城北西辺の喰違い小口付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
主郭南西角付近の喰違い小口 −画像A−
( 2009/03/18 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「中近世城館報告書」(正式名称は「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」/1995/千葉県教育委員会)掲載の略測図等を基本に、必要に応じて現地での印象などを加味させていただきました。

松ヶ崎城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
松ヶ崎城堀底道脇の外郭上段部の拡大画像へ ⇒ 画像クリックで拡大します
松ヶ崎城主郭内部 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 尾根続きの腰郭(4−1)
 堀底道脇の外郭上段でこの先端の方に2段の腰郭状地形が残されています。なお画像の右端は堀切跡と推定される堀底道。
⇒ 耕地化等による地形改変の可能性も想定される南西部腰郭の最下段部(4−2)
南西喰違い小口手前の縄張り図付解説板(4−3)
南側腰郭群へと続く堀底状の道(4−4)
⇒威圧感を伴う高さ約3mの南西崖線を防御する土塁(4−5)
南側腰郭群の最西端に所在する腰郭(4−6)
同拡大画像(4−7)
 
凸2 主郭内部(2−1)
 主郭内部からは北西部と北東部の土塁及び東側の物見台の存在などが目立ちますが、南西側の土塁については残念ながら削平などがすすでいるようで痕跡を辿る程度の残存状況でした。
 また南側崖線(2−2)には見学者の安全に配慮等に配慮して真新しい木柵が設置されたばかりでしたので、雛壇状の腰郭群の状態については未確認です。
南側崖線部の低土塁(2−3)
南側崖線部の低土塁へと続く土塁と小口跡(2−4)
 

松ヶ崎城門跡付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
松ヶ崎城北東辺の土塁と空堀 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 門跡と古墳を利用した櫓台(3−1)
 主郭の南東付近を撮影したもので、画像左手が主郭の物見台(櫓台か)として利用されたと推定されている古墳で、画像の中央付近辺りが柱穴が発掘された門跡である模様です。
古墳を利用した物見台の現地解説板へ(3−2)
地中の門跡の所在を示す現地解説板へ(3−3)
 この付近には、15世紀後半〜16世紀前半にかけての戦国期城館跡であることを教唆する現地解説板(3−4)も設置されておりました。
 
凸4 主郭北東及び北西部の土塁(4−1)
 主郭部分の土塁は北西側が最も良好な状態で残存し、これ続いて北東部が比較的明瞭に残されています。
 堀幅約8mの空堀を伴う主郭北東側の土塁(4−2)の規模は、延長約50m、高さは主郭側で1.5m、空堀側では約3mほどを測りますが、空堀そのものはこの時点では南東方向に進むにつれて次第に埋没気味となっていました。
 

松ヶ崎城北西辺の空堀と土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
松ヶ崎城北西辺の小口付近 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 主郭北西部の土塁と空堀跡(5−1)
 土塁の北角部分は空堀側に僅かに張出すような形状を見せ、往時における櫓台の存在を窺わせる構造であったことも想定されます。
⇒南西方向から撮影の主郭北角の櫓台状土塁(5−2)
⇒北西方向から撮影の主郭北角の櫓台状土塁(5−3)
⇒南西小口から撮影の主郭北西側土塁の全景(5−4)
 
凸6 主郭南西部の小口と土橋(6−1)
 主郭南西部の明瞭な土橋状地形を伴う小口部分の遠景撮影したものです。
⇒土塁上から撮影した主郭南西小口付近(6−2)
⇒北側から撮影した主郭南西に続く郭の土塁(6−3)
⇒郭外から撮影した主郭南西小口(6−4)
⇒空堀底より撮影した主郭南西小口と土橋(6−5)
⇒東側の麓より撮影した松ヶ崎城台地遠望(6−6)
 
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)
「改訂版 図説房総の城郭」(2006/千葉城郭研究会/国書刊行会)
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版
「東葛の中世城郭」(千野原靖方/2004/崙書房)

■郷土史・歴史関係
「千葉県の歴史散歩」(2006/山川出版社)、「千葉県の歴史」(2000/山川出版社)
「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「千葉県東葛飾郡誌」(1923/千葉県東葛飾郡教育会/復刻版)※記述なし
「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房)
「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社)
「利根川の歴史」(2001/国書刊行会)

■史料


■その他
柏市役所公式HP

・2010/06/12 HPアップ
・2019/06/20 画像ズレ補正
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