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千葉県佐倉市の城館索引へ戻る  先崎城遠景 先崎城のバナー 先崎城主郭付近
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/03/30のブログ 保品竜害城 下高野館 師戸城
所在地
 千葉県佐倉市先崎領替1567ほか
歴史、人物、伝承

臼井城の支城か
 印旛沼西方の上小竹川(A−2)北岸の台地崖線沿いに占地し、それぞれ経緯・性格は不明ですが、西方約500mには下高野館、北北東約800mには保品竜害城が所在し、特に下高野館とは同一の台地上に所在することからその関連性が想定されます。
 伊礼正雄氏によりますと、1968年3月現在までは2か所からなる連続した郭と外郭部が現存していた旨が当時の現地調査により明らかにされています。また、城郭としての伝承は不明とされていますが、字名として「領替」(⇒要害の転訛)という地名が残され、高橋三千男氏(当時:佐倉市教育委員会)によりその所在について明らかにされたとのことです。(「佐倉市史」より)
 なお城名の読みは「まっさきじょう」で、別名を宮ノ越城(みやのこしじょう)とも。

確認可能な遺構
 土塁、空堀、郭、腰郭
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年3月30日 17時10分から18時00分
訪城の記録 記念撮影

 藪と夕闇 ( 2010/03/25 記述 )
 訪れることができたのは3月の末とはいえ、時刻は既に黄昏時の然も薄暗い山林の中。近くに民家があるものの、なかなかに森閑とした佇まいを呈しておりました。「佐倉市史」によりますと一対の櫓台を含む遺構の凡そ北半分ほどについては、1968年末頃に宅地開発等に伴う土取等により完全消失したとのことで、現在(2009年3月30日現在)は建築関係の資材置場となっておりました。
 残りの南側部分も電波中継塔建設等による地形の改変(A−4)が見られますが、南東部分に所在する郭とこれに伴う土塁・堀跡は明確に残存しています。けれども主郭と思われる郭内部は木々が繁殖し見通しは殆どなく、無論土塁上も枝が障害物となり円滑な移動は困難な状況でした。
 取分け麓に先崎地蔵尊(A−3)が所在する南東側では、オーバーハングした崖線となり自然崩落が徐々に進行している様子でありました。このため雨上がりの後などに土塁の辺縁部上を迂闊に歩行すると、土塁と諸共に崩落していく危険性も潜在している模様です。まして周囲は次第に夕闇が濃厚となり始め、一応遺構の残存範囲を特定できたということにして即時撤収へ。
 なお、「宮ノ腰」の地名と関係が深いものと推定される城跡西方の鷲神社(A−5)境内周辺にも土塁状の地形(A−6)が確認できますが、当該城域の広がりとの関連から神社の普請に伴うものと見るかどうかその判断に迷うところです。

先崎城遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
先崎城遠望 画像A−1
( 2009/03/30 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「佐倉市史」)掲載の略測図等を基本とし、現地での印象を加味して作成しています。しかし西側の土塁遺構については、かなり記憶が曖昧のため極めて不正確なものとなっています。

先崎城の概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
先崎城主郭の北東側土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
先崎城の北東側空堀東端部 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 主郭土塁(1−1)
 肉眼では折歪を伴う土塁・空堀(1−2)さえもはっきりと視認できるのですが、夕闇が漂い始めた薄暗い雑木林のなかではこの画像の撮影(ASA800)が限界のようです。
 尤も晴天下の白昼では日差しが斑模様を描いてしまいますので、再訪するならば明るい薄曇りが相応しいようです。
凸2 主郭空堀の先端部(2−1)
 主郭と北側に続く郭を隔てる空堀跡は、この画像の先端部の高さから推定する限りでは、堆積物により相当に埋没しているということは確かな模様です。

先崎城の南東側土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
先崎城の北西側土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 主郭南東部の土塁
 この直下に先崎地蔵尊の堂宇が所在していますが、帰路に麓から見上げただけではこの辺りに散見されるようなごく普通の崖線にしか見えませんでした。
 画像の右手が郭内で、その反対の左側は数十センチほどオーバーハングしているような個所も見受けられました。
凸4 主郭北西部
 画像の手前部分は民家裏の宅地続きとなっていることから、その空堀の大半は埋立てが行われた形跡が推定されますが、主郭と推定される部分そのものについては概ね現存しているものと考えられます。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版

■郷土史・歴史関係
「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
⇒「先崎 印旛沼西端の丘陵上に位置する。台地南の崖線に先崎城がある。城砦は複郭で主郭には土塁が完全に近い遺構を遺し、土塁の折歪が見られる」と記されています。なお同村高は元禄郷帳では131石余であることから、在地領主層による城郭である可能性は少ないものと推定をされます。
「佐倉市史」(1971/佐倉市)
「千葉県印旛郡誌」(1912刊/1971崙書房より復刻)
⇒当時の「志津村」の項に「先崎」の地名等は記されていますが、先崎城そのものに関する記述は確認ができません。

■史料


■その他
奈良文化財研究所データベース

・2010/05/30 HPアップ
・2019/06/22 画像ズレ補正
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