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千葉県佐倉市の城館索引へ戻る  謙信一夜城 謙信一夜城のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/03/18のブログ 稲荷台砦 円能遺跡 田久里砦 洲崎砦
所在地
 千葉県佐倉市王子台3丁目12
歴史、人物、伝承

臼井城攻略の折の陣城か
 伊礼正雄氏によれば、永禄9年(1566)越後の長尾景虎による関東侵攻(越山)の折、臼井城攻略の拠点として築城された陣城であろうとのとの説がある。
 地理的には臼井城の外郭防衛砦群のひとつとされる稲荷台砦と低地を挟み対峙する位置関係に所在していることから、他の臼井城外郭砦群とは明らかに性格を異にするものと推定される。しかしその規模は100m×70mという小規模な方形であることから、どれほど多くとも500人ほどの兵力を収容することが限度であるものと推定され、また南方における最前線でもあることから謙信の本陣そのものとは考えにくく、あくまでも臼井城攻略時における付城のひとつと推定するべきなのかもしれない。別名を王子台城ともいう。
 なお、謙信の関東侵攻の勢いは永禄4年(1661)の小田原城包囲以降この臼井城攻撃時までがピークであり、以降常陸小田氏、下総結城氏、下野小山氏、宇都宮氏を始めとして横瀬氏、成田氏、下野皆川氏らの有力国衆らの離反が続きその威信は急速に衰えを見せ始めていく。

確認可能な遺構
 遺構消滅、城址石碑あり
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年3月18日 17時45分から17時50分、2009年4月12日再訪
訪城の記録 記念撮影

 あの謙信が
 上杉謙信が永禄年間に越山して関東を制圧した際の陣城と伝わる城跡です。かつて1973年の発掘調査により方形の空堀と土塁、小口、櫓台の存在が確認されたとのことです。しかしご多分にもれず宅地化により関連遺構は消滅し、現在はその東側付近と思われる個所に「一夜城公園」が整備されておりました。
 それでも近年のものとはいえ城跡の由来が刻まれた立派な石碑が建立されているという情報については、事前情報としては全く察知していなかったこともあり、日没後の夕闇迫る全く人気の無い公園でブツブツと呟きながらニヤニヤとほくそ笑むという典型的な不審者を演じておりました。

( 2010/02/28 記述 )
謙信一夜城 ⇒ 画像クリックで拡大します
謙信一夜城の石碑
( 2009/03/18 撮影 )


(注1)この「想定復元概念図」は、「千葉県の歴史 資料編中世1考古資料」に掲載されていた平面図を元に管理人の勝手な想像により概念図化したものに過ぎません(笑)
 なお「白井南」遺跡調査報告書によりますと、幕末期には佐倉藩の小銃演習場として利用されて、その際には南側の土塁が削平を受けた旨が記されています。

謙信一夜城想定概念図(笑) ⇒ 画像クリックで拡大
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版

■郷土史・歴史関係
「千葉県の歴史 資料編中世1考古資料」(1998/千葉県)
 ⇒県内の発掘・学術調査が実施された中世城郭約70か所を収録
「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「佐倉市史」(1971/佐倉市)
「東国闘戦見聞私記」(1997復刻/常野文献社)
 ⇒臼井城攻めを武蔵成田氏によるものと記されているが、越後上杉氏の命により行われたものと解釈できなくもないがあくまでも近世に編纂された軍記物の記述である。
「千葉県の歴史100話」(川名 登 編著/2005/国書刊行会)
「千葉県印旛郡誌」(1912刊/1971崙書房より復刻)
 ⇒臼井町の項に掲載されている「臼井故城図」には、字オシノ台上に所在し「稲荷台砦」と対峙する「ケンシン一夜城」が描かれている。(元図は「成田名所図会」からの引用か)
論考「下総国臼井城について」(篠丸頼彦氏)(「戦国史論集 関東中心/1980/東国戦国史研究会」)
 ⇒臼井城の砦群に関して個別に詳述されている。
「戦国期東国の大名と国衆」黒田基樹/2001/岩田書院)
 ⇒「第12章上杉謙信の関東侵攻と国衆 1関東侵攻の展開過程」では3月23日に下総臼井城が攻撃されたとされている。
「上杉謙信」(矢田俊文/2005/ミネルヴァ書房)
 ⇒同書によれば上杉方は5千人に及ぶ死傷者を出し敗退したとされるが、その損害の規模については疑問の余地があるものと考えられる。
「関東戦国史」(千野原靖方/2006/崙書房)
 ⇒臼井城攻略について略述され「謙信一夜城」の名も登場する。
「新編房総戦国史」(千野原靖方/2002/崙書房)

■史料

「関東古戦録」(槙島昭武/2002/あかぎ出版)
 永禄6年(1563)の長尾輝虎による臼井城攻めに関する記述がありますが、この臼井城攻めについては他の同時代史料の存在から一般には永禄9年(1566)が通説となっています。

■その他
「臼井南−千葉県佐倉市臼井南遺跡調査報告書」(1975/佐倉市教育委員会)※但し「孫引き」
奈良文化財研究所「遺跡データベース」より

・2010/02/28 HP暫定アップ
・2010/03/02 「想定復元概念図」追加(汗)
・2019/06/22 画像ズレ補正
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