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千葉県柏市の城館索引へ戻る  金山寺山城−円林寺山門と土塁 金山寺山城のバナー 金山寺山城−鳥見神社の郭切岸
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2010/01/11のブログ 泉城 泉妙見山城 柳戸城
所在地
 千葉県柏市(旧沼南町)金山字寺山、根古
歴史、人物、伝承

相馬氏累代の所領
 城跡と推定されている舌状台地の大半は削平され、僅かに台地基部である円林寺と鳥見神社周辺に土塁等の遺構を伝える。現存する台地と水田面の比高差はおよそ15mほどを測る。
 鎌倉時代末期元徳3年(1331)9月26日の相馬胤康譲状によると胤家に対して下総国南相馬の泉村、金山、上柳戸、舟津が譲与された。その後貞治2年(1363)には胤重に、康暦3年(1381)には胤久に相伝されたことが見える。(「相馬岡田文書」)
 しかし応永2年(1395)と推定されている南相馬村田数注文(「相馬文書」)には、「いつミ 22丁」と記されているものの「金山」の地名は見られなくなり、応永9年(1402)の胤久から胤行への譲状には下総の所領は記載されなくなり地域支配の変動が読み取れるという。こうしたことから、鎌倉時代末期から14世紀末頃までは相馬氏との関わりが推定されるが、その後の支配関係は推測の域を出ない。なお、戦国期には(手賀)原氏、高城氏などとの関わり想定されるともいう。(→「東葛の中世城郭」「角川地名大辞典県12」より)
なお城館名称については、「日本城郭体系」と「沼南町史第1巻」では「金山寺砦」、「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」では「金山寺山砦」(かねやまてらやまとりで)、「東葛の中世城郭」では「金山寺山城」とされて、以上少なくとも3例の表記がある。一方「金山」の読み方は「かなやま」「かねやま」の何れも呼称するとのこと。(「角川地名大辞典県12」)また、金山は大字名、寺山は俗称(→所謂伝承地名か)とのこと。これに城域の広さも考慮するなどして「金山寺山城」と表記した。

確認可能な遺構
 土塁、空堀、郭、腰郭ほか
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2010年1月9日 9時10分から10時15分
訪城の記録 記念撮影

 削平された台地 ( 2010/08/24 記述 )
 天台宗円林寺の境内および鳥見神社の辺りが城館跡であるという事前の情報。確かに円林寺境内東側を中心に土塁状地形が残存し、これに続く北側部分は櫓台に見えなくもないという平坦地なども確認できます。また円林寺東側崖線の一段下には腰郭状の地形も確認できます。
 しかし、本来は市道で分断された北側へと続く削平された台地部分もその領域の一部であるということなので、後世の地形改変である可能性の方が濃厚なのかとも。このほかに鳥見神社西隣の民家宅地北側崖線部に土塁状の地形が残りますが、その規模などから後世の風邪除けのためのものである可能性も大きいように思われます。さらに鳥見神社南西の畑のなかには、約2mばかりの地面の段差を有する個所など多少なりとも城館遺構と関連しそうな地形も散見されます。
 城域の大半を占めるという北側(A−2)は台地そのものが概ね消滅して、僅かに道路の形状だけが台地跡の形態をとどめるのみでしたが、仮に削平された台地部分のすべてが城域であったとすれば少なくとも5つほどの郭から成る中規模の城郭が再現されることとなります。なお、大規模な縄張り構造を有する藤ヶ谷城は南西約1.5km付近に所在しています。

天台宗円林寺の山門と土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
天台宗円林寺の山門と土塁 −画像A−1−
( 2010/01/09 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については「東葛の中世城郭」掲載の現況地図等を基本に現地での印象などを加えています。

金山寺山城概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
円林寺の北側土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
円林寺境内の南側空堀跡 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 円林寺の北側土塁(1−1)
 本堂脇の土塁北側の部分では幅が広がり平坦な櫓台状の地形のようにも見えますが、恐らくは後世の整地などにともなう地形改変ではないかと思われます。
⇒こちらは腰郭状の地形に見えてしまう削平地(1−2)

凸2 円林寺境内の南側空堀跡
 現在は比高差10mほどの急坂の公道となっていますが、かつては堀底道であったともの推定されています。因みに直接崖線下の細道(踏み跡)を這い上がりますと、左の画像の部分(腰郭状の地形)に辿りつきます。

鳥見神社の鳥居 ⇒ 画像クリックで拡大します
鳥見神社 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 鳥見神社の鳥居
 印旛沼北方域に多く見られる神社ですが、元は香取神社の社号のようです。その縁起は不明ですが創建自体は比較的新しいものなのかも知れません。(→2010年の初詣となりました)
⇒やはり気になる南西方向に所在する畑の段差(3−2)
⇒西側隣地の風除け?の土塁と崖線部(3−3)
凸4 鳥見神社境内
 神社境内は児童公園を兼ね、この斜面が郭跡の切岸のようにも見えてしまうのです。日当たりも良好ですが、反面季節風がまともに吹きつけてきます。因みに土曜日の午前中でしたが、人影は皆無でありました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版
「東葛の中世城郭」(千野原靖方/2004/崙書房)

■郷土史・歴史関係
「沼南町史第1巻」(1979/沼南町)
⇒「城郭史」(31頁から42頁)の項は、旧沼南町に所在している中世城館に関する記述に詳しいが、残念ながら記述自体も新しくはなく縄張図等の参考図も付されてはいないことなどが惜しまれる。

「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「千葉県東葛飾郡誌」(1923/千葉県東葛飾郡教育会/復刻版)
「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房)
「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社)
「利根川の歴史」(2001/国書刊行会)

■史料


■その他


・2010/08/24 HPアップ
・2019/06/21 画像ズレ補正
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