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千葉県柏市の城館索引へ戻る  藤ヶ谷中上城、疑惑の地形 藤ヶ谷中上城のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2010/01/11のブログ 藤ヶ谷城 金山寺山城 泉城
所在地
 千葉県柏市(旧沼南町)藤ヶ谷字中上
歴史、人物、伝承

経緯不詳の消失した城郭
 藤ヶ谷城に極めて近いことから、同時代に使用されていたとすれば14世紀には相馬氏、戦国期には高城氏の支配下にあったとされる藤ヶ谷氏との関係等も想定されるが何れの場合も具体的史料を欠いている。

確認可能な遺構
 なし(土塁?)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2010年1月9日 13時00分から13時20分
訪城の記録 記念撮影

 所在地も不詳 ( 2010/08/26 記述 )
 この正確な所在地は未確認で、この地域ではよくある事例で1970年代に土砂の採掘によりほぼ台地ごと消滅したとのことです。また東側の水田に張出した土塁状の地形(画像2)は近年のものと明記されておりました。(「沼南町史第1巻」(1979/沼南町より)
 そうはいっても実際に踏査してみないことには始まらず、「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」および「東葛の中世城郭」に示されている一帯の山中をおおまかに踏査。工場の東側斜面付近に土砂の採掘跡のような地形を確認できますが、推定地の範囲に照らすとやや北方に偏りすぎているようにも思われます。
 斜面の中腹には周辺には何やら経緯不詳の土塁状地形なども確認できますが、木々に視界等を妨げられ地形全体の概要も掴めぬまま即時踏査を終了の止む無きに至りました。「電子国土」を参照しても山道の南北ともに土砂の採掘痕が記されているため明確な判断材料とはなりません。「入谷津と金山落し」が形成する舌状台地を想定する限りでは、恐らくはうろついていた山道の北側一帯(養豚場の南側付近)が該当地であったということにもなりそうです。

斜面中腹の土塁状地形 ⇒ 画像クリックで拡大します
斜面中腹の土塁状地形−画像1−
( 2010/01/09 撮影 )


(注1) 「矢印と番号」は、およその撮影地点と方向を示しますがあくまでも大雑把なものに過ぎません。
(注2)なお、この「概念図」については現地での印象に基づいて作成したものです。。

藤ヶ谷中上城周辺概念図 ⇒ 画像クリックで拡大します
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 6」(1981/新人物往来社)
「関東地方の中世城館1埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
⇒「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書1」(1995/千葉県教育委員会)の復刻版
「東葛の中世城郭」(千野原靖方/2004/崙書房)

■郷土史・歴史関係
「沼南町史第1巻」(1979/沼南町)
⇒「城郭史」(31頁から42頁)の項は、旧沼南町に所在している中世城館に関する記述に詳しいが、残念ながら記述自体も新しくはなく縄張図等の参考図も付されてはいないことなどが惜しまれる。
→藤ヶ谷中上城の推定地を具体的にに示す記述であると考えられることから、その概要を引用した。
 「藤ヶ谷台地の東側を流れる金山落しの流域には、西方から流れ込むいくつかの小支谷があり、それらは入谷津となり、その多くは現在水田となっている。城址は中上地域の入谷津と金山落しが接する北側台地上の辺縁にあった。台地の標高25m、比高差約12m..ここは土砂採取工事により台地は削平され、水田からの比高2mに変貌してしまった。..築城遺構の空堀の一部と見られる痕跡が西側斜面に発見される。また、城址地域東側水田上に突出した土塁状のものは、近年になって築かれたものである。」

「角川地名大辞典県12」(1984/角川書店)
「常総内海の中世」(千野原靖方/2007崙書房)
「利根川荒川事典」(1997/金井忠夫/近代文芸社)
「利根川の歴史」(2001/国書刊行会)

■史料


■その他


・2010/08/26 HPアップ
・2019/06/21 画像ズレ補正
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