滋賀県内の城館跡目次
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1歴史・伝承  2残存遺構  3訪城記録・記念撮影  4アルバム  5交通案内  6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2017年12月10日のブログ 殿山城 殿山 公方屋敷 公方屋敷支城
所在地
 滋賀県甲賀市甲賀町和田(こうかし/こうかまち/わた)
歴史、人物、伝承

経緯不詳
 以前においては和田氏に関連する城館跡のひとつとして把握されていたようだ。しかし2010年に刊行された「甲賀市史第7巻」によれば、「和田谷の城館について、今回改めて精査した結果、従来その存在が指摘されていた「公方屋敷城」と「棚田山城」については城郭遺構ではないと判断した」旨が記されている。ただし複数の削平地がどのような性格のものであるのかは不明であるらしい。なお「日本城郭大系11」に、棚田山に関連する記述が見られるが、これはあくまでも和田城が所在する地形について述べたものである。

確認可能な遺構
削平地
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2017年12月10日 13時20分頃
訪城の記録 記念撮影

 遠望のみ
 1984年の城館悉皆調査以降から10年くらい前までは公方屋敷城とともに中世城館跡として把握されていたようなのですが、近年において城館跡ではないものと判断されています。この日の日没時刻までは既に3時間を切っており、何とか和田城だけは見ておかねばならないと考え、西側の市道から遠景のみを撮影するだけにとどめることとなりました。(※出典「甲賀市史第7巻甲賀の城」333ページより)
 削平地などの人為的な地形について中世城館跡ではないとすると、近世以降の屋敷跡のほか寺社跡、集落跡、耕作地跡、植林造成跡などが想定されますが、何分にも通りすがりに遠景を眺めただけですのでその詳細は全く分かりません (^^ゞ
 なお2017年12月4日現在で検索した「棚田山城」について、滋賀県立図書館のレファレンス事例がヒットしました。ただし参考資料は「滋賀県中世城郭分布調査」(1984)ですので実際には余り役立ちませんでした。このまま「不詳の遺構」や「類似遺構」のような扱いとなってゆくのでしょうか。
( 2018/2/16 )記述
城 
棚田山城遺跡 −画像A−
( 2017年12月10日 撮影 )
南西の県道51号線沿いから撮影した遠景です。

和田城東麓の説明板
和田城東麓の説明板から −画像B−
( 2017年12月10日 撮影 )
 和田城の東麓市道沿いに設置されている現地説明板の画像を部分拡大したもので、平成22年度(2010年度)の甲賀市教育委員会による「里山・遺跡のコ・ラ・ボ(木・愛)」事業により整備設置されたことが付記されておりました。この説明板は和田支城1の付近にも設置されており、良く目につくのですが棚田山遺跡と公方屋敷城遺跡を含む9か所が表記されています。
 しかし一方、ほぼ同時期に刊行された「和田城館群−甲賀の城郭1」(2011/甲賀市※現地配布パンフレット)には、棚田山遺跡と公方屋敷城遺跡の表記は無く、この2か所については中世城館跡としての範疇からは除外されています。この点については、すでに「甲賀市史第7巻」(2010)の公方屋敷の項末尾において、「従来においてその存在が指摘されていた「公方屋敷城」と「棚田山城」については城郭遺構ではないと判断した」との中井均氏による記述があることから、こうした学術的評価の変更によるものと解すべきなのでありましょうか。

訪城アルバム
現地案内板 ⇒ 画像クリックで目いっぱい拡大します
凸1 現地案内板
 和田公民館近くに設置されている案内板で、中世城館跡については公方屋敷城と棚田山城を除く7か所の存在が記されています。なお画像の左が北となっているために、やや分かりにくく感じられましたので右隅部分に方位を付記させていただきました。
画像クリックで目いっぱい拡大します

和田城東麓の説明板から
凸2 和田城東麓の説明板から
 上記の「画像B」の右側に付されていた9か所の城館跡に関する解説文ですが、前記のように現地で入手できるパンフレットの記載内容とは喰い違う部分が確認され、何を信じてよいのやら頭の中が混乱の極地に達しておりました。まさに「城館跡」だけに「喰い違い」があるのかも知れませんが (^^ゞ

凸3 和田支城1から
 和田支城1への上り坂の途中から棚田山城方面(民家の切妻屋根の上に見える山)を撮影したものです。既に公方屋敷と棚田山城の件ではかなり頭が混乱しておりましたが、この時点ではこれに加えて2食抜きの空腹と水分不足のためやや意識が薄れかけておりました。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭全集」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)掲載なし
「日本城郭体系第11巻」(1980/新人物往来社)※「棚田山」の項目があるが、実際には和田城を指している。
「図解近畿の城郭第4巻」(2017/戎光祥出版)掲載なし
「近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編」(2015/吉川弘文館)掲載なし
「近江の山城ベスト50を歩く」(2006/サンライズ出版)掲載なし
「近江の城」(1997/サンライズ出版)※掲載あり
「近江城郭探訪 合戦の舞台を歩く」(2006/サンライズ出版)※コースガイドの記述あり
 「善福寺の石碑を通り過ぎ左手の山裾沿いの道を上りつめると、そこに棚田城跡がある。物見の平坦地であろうか、そのなのとおり山頂に棚田のような広い平坦地を見ることができる。(以下略)」

歴史・郷土史関係
「角川日本地名大辞典25滋賀県」(1979/角川書店)
「甲賀市史第2巻、第7巻、第8巻」(/甲賀市)
※「甲賀市史第7巻」(2010/甲賀市)の公方屋敷の項末尾において、「なお、和田谷の城館について、今回改めて精査した結果、従来その存在が指摘されていた「公方屋敷城」と「棚田山城」については城郭遺構ではないと判断したとの中井均氏による記述が見られる。
 しかしその後の2012年に刊行された「甲賀市史第2巻甲賀衆の中世」において、村田修三氏は甲賀地方の中世城館跡を概観するに当たり、その「公方屋敷城」を「公方屋敷の比定地」として示唆している。別書ではあるが同じ甲賀市の刊行でもあり、この点に関しては齟齬を来しているようにも感じられる。研究者間の見解の相違と理解すべきなのであろうか。なおこの齟齬に関してはあくまでも公方屋敷ないしは公方屋敷城に関するものであり、棚田山城に関わるものでは無いのだが、それら判断の基準およびその精査の詳細経緯については未確認である。

「和田惟政と甲賀武士」(2008/和田晋次著)
「戦国武将合戦事典」(2005/吉川弘文館)
「日本史広辞典」(1997/山川出版社)
「戦国大名家辞典」(2013/東京堂出版)
「日本中世史年表」(2007/吉川弘文館)※「多門院日記」について

史料、地誌、軍記物
「甲賀郡志 復刻版」(1978/名著出版)

その他
国土地理院地図および航空写真
「和田城館群−甲賀の城郭1」(2011/甲賀市)※現地配布パンフレット(和田公民館下の東側県道沿いに常備)


更新記録
・2018年2月16日 HPアップ
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