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2017年12月10日のブログ 凸公方屋敷支城 凸殿山城 凸殿山 |
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滋賀県甲賀市甲賀町和田(こうかし/こうかまち/わた)小字門田 |
( 2017年12月10日 撮影 ) 一般的に公方屋敷と呼称されている西側を除き三方が低丘陵に囲繞された場所で、画像中央からやや左に低木の植込みと現地解説板が所在しています。このように現在も耕作地として利用されていますので、くれぐ゜れも農作物に留意し畦道や水路などを傷めないよう多少遠回りしたりしながら見学することが求められます。
( 2017年12月10日 撮影 ) 殿山方面へと続いている東側の丘陵尾根筋で、両側には切落したような形跡が感じられ、このまま登ってゆくと殿山山頂部の木製展望台付近へと到達します。
( 2017年12月10日 撮影 ) 合併以前の甲賀町当時に作成設置された現地解説板で、鉄骨の錆具合などから推定しますと恐らくは1980年頃のものになるのでしょうか。
( 2017年12月10日 撮影 ) 国土地理院の電子国土サイトからダウンロードし手を加えたもので、従来の殿山と殿山城、南の公方屋敷との位置関係などについて簡単に纏めてみました。村田修三氏、中井均氏にりますと、近年新たに確認された殿山城をふくむ和田城館群という捉え方を提起されています。(※「甲賀市史第7巻」「甲賀市史第2巻」)この「城館群」という捉え方が、あくまでも地理的な分布のみを指すものではなく、その機能連携にまで及ぶものとするならば、その背後に存在するであろう同名中、郡中惣などの相応の経済力、軍事力を伴う地域権力の実態解明がとても気になります。
「甲賀市史第2巻」(308頁から310頁)に掲載されている村田修三氏の説によりますと、赤枠で囲んだ公方屋敷の領域の内、少し西側に張出した方形の林(※現在は竹林)がこれに相当します。 |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係 ■歴史・郷土史関係 ・2018年2月15日 HPアップ
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