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2017年12月10日のブログ 凸殿山 |
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滋賀県甲賀市甲賀町和田(こうかし/こうかまち/わた)小字門田、武蔵 |
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郭、堀切、土塁ほか | |
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なし | |
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2017年12月10日 11時05分から11時30分 |
( 2017年12月10日 撮影 ) 凸城跡の北麓から見上げたもので整形された郭のラインが肉眼でもはっきりと確認できます。いちおう手持ちの資料用バインダーで直射日光を遮蔽してはいますが、生憎と太陽の位置関係上からハレーション気味の画像となっています。
( 2017年12月10日 撮影 ) 画像左が従来の殿山方面で、右側が郭跡側となります。従来の殿山と呼ばれていた個所から直線にして僅か100mほどしか離れていない城館遺構でもあり、しかも中世城館の著名な密集地帯のひとつでもあることなどを勘案しますと、なぜ今までに未確認(あるいは未公表)であったのか些か不思議な感じもします。一部の愛好家などにはかなり以前から既に知られていた存在であったのでしょうか?現在でも切岸の斜度は45度前後を有しており、木の枝や笹に掴まりながら何とか堀底に降りてみました。
( 2017年12月10日 撮影 ) 一般に公方屋敷支城と呼ばれている城館跡の南東麓辺りから撮影した遠景です。城跡の凡その位置は画像中央からやや左上の丘陵先端部付近となります。
( 2017年12月10日 撮影 ) 殿山城の西側約150m付近に所在している公方屋敷支城の藪と格闘してきた後に撮影したものです。
( 2017年12月10日 撮影 ) 国土地理院の電子国土サイトからダウンロードし手を加えたもので、従来の殿山、南の公方屋敷、西の公方屋敷支城との位置関係などについて簡単に纏めてみました。中井均氏によれば、南に散開する和田集落の入口に当たることから和田城館群の監視所的な城郭であろうとされています。(※「甲賀市史第7巻」)
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係 ■歴史・郷土史関係 ・2018年2月 日 HPアップ
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