滋賀県内の城館跡目次
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滋賀県の城館索引へ戻る 公方屋敷支城 公方屋敷支城のロゴ 公方屋敷支城
1歴史・伝承  2残存遺構  3訪城記録・記念撮影  4アルバム  5交通案内  6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2017年12月10日のブログ 殿山城 殿山 
所在地
 滋賀県甲賀市甲賀町和田(こうかし/こうかまち/わた)小字西谷
歴史、人物、伝承

和田城館群
 公方屋敷支城の呼称はあくまでも便宜的なものであり、近年では包括的に和田城郭群という名称でも呼ばれている。これらの名称は現地に設置されている案内標識および「甲賀市史第7巻」などの表記に拠っている。戦国期には和田氏の本拠地でもあることから、和田惟政をふくむ甲賀衆和田氏との関係が想定される。しかし和田氏本流で摂津守護となった和田惟政が活躍した時期もそれほどは長くは続かずに、元亀2年(1571)には池田知正との戦いに敗れ討死を遂げている。こうした背景もあり和田氏が同地において実際にどのような関わりをもっていたのかなどについて、同時代の文献史料などからは確認されていないらしい。なお、「日本城郭大系11」には「室町時代に和田和泉守が築いた山城。土塁が残る」との記述が見られ、恐らくは「甲賀郡志」などからの引用であろうと推定されるが必ずしも明確な史料などに裏付けられたものでは無いらしい。
 15世紀末長享期の佐々木六角氏以降、その後の甲賀同名中の形成過程における和田氏拠点防御、織田氏に追われた佐々木六角氏の潜伏、甲賀郡中惣末期の対織田氏対策など、その築城の背景をいろいろと想定する材料には事欠かない。

確認可能な遺構
郭/櫓台/土塁?ほか
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2017年12月10日 11時40分から12時25分
訪城の記録 記念撮影

 タラノキ
 現状では主郭付近を除くとほぼ藪城に近いという印象があります。またあまり登り口が明確ではなさそうで、かつ民家近くの斜面を這い上がるようなことから了承をいただくべく声を掛けようにも近くには人影が見当たらず、後ろめたさも加わり気が引けることこの上ありませんでした(^^ゞなお東側から斜面を這い上がりますと、傾斜もそれほどは厳しくはありませんが、途中かなりの藪と有棘植物(タラノキとノイバラなど)が群生する土塁上を通過することになります。このため厚手の手袋なの用意などそれなりの対策注意が必要であるように思われます。ことによると南側の民家方面から、より安全にアプローチするようなルートが存在しているのかも知れないようにも感じました。ちなみに管理人の場合にはノイバラの棘に目を奪われて、除けたタラノキ(小さめの鬼の金棒状をした有棘植物)の反動に右足太腿部を直撃されました。このため1か月間は入浴時に沁みて、2か月後の本項更新時点においても未だ十数か所の赤い直撃痕が残されております (^^ゞ
( 2018/2/12 )記述
公方屋敷支城遠景
公方屋敷支城遠景 −画像A−
( 2017年12月10日 撮影 )
 和田集落からの帰路に撮影したこの日の最後の方の画像で南東方向の公方屋敷入口付近県道51号線沿いからの遠景です。管理人の場合は画像右下のお宅脇の斜面から失礼をいたしましたが、もしかすると画像左上のお宅の付近からの方が藪漕ぎをすることなくアプローチできるのかも知れません。この位置から眺めますと櫓台のようにも見える整形された二つの土塁地形が際立つアングルで、ちょうど主郭部と推定される削平地の東と西に存在しています。

主郭部とされている削平地付近から南方を望む
主郭部とされている削平地付近から南方を望む −画像B−
( 2017年12月10日 撮影 )
 この公方屋敷支城を含めて城跡の削平地部分にこうした溜池が設置されている事例は珍しくは無いようで、和田城郭群でも和田城、和田支城1などでも見かけます。この和田城館群以外ではほかに滝川城、新宮城などなどでも見かけていますので特に珍しい存在ではないようです。むろん現在残されている形態は後世の旱魃対策に伴うもののように思われますが、12月という渇水期にこのように満々と水を湛えている光景を目にいたしますとついつい水の手の存在との関係を考えてしまいます (^^ゞ

西側の櫓台地形
西側の櫓台地形 −画像C−
( 2017年12月10日 撮影 )
 高さは3mほどの長方形をした地形で、本来はもう少し画像右側に延びて西側尾根続きを遮断防御する役割を担っていたものなのでしょうか。「画像A」のうち左手の高台地形に相当します。周辺部はやや足元が柔らかく感じられましたが、画像左側の日の当たっている辺りから登るような仕組みであったのかも知れません。

城 
西側櫓台地形の西側付近 −画像D−
( 2017年12月10日 撮影 )
 現在では山仕事などの里道のようになっておりましたが、堀跡のような窪地を伴っているようにも見受けられなくもない城域の西端部分です。虎口部分も明確ではなく和田集落に面した東側などに比べると、西側の尾根続きに対する積極的な防御意図が余り感じられないようにも思われました。画像左側の櫓台状地形の傾斜角はこのように50度前後はありましたが、その反面で斜面自体は比較的柔らかいので実に不思議な感触でした。

主郭部とされている削平地
主郭部とされている削平地 −画像E−
( 2017年12月10日 撮影 )
 東側の土塁状地形は西側の櫓台地形に比べるとやや低く、その平面形状も概ね三角形に近い形状をしていました。主郭部とされている削平地もどちらかといえば城跡らしい印象は余り感じられず、後世の耕作や植林などによりある程度の地形改変が為されているように思われました。


城 
国土地理院航空写真より編集加工 −画像B−
( 2017年12月10日 撮影 )
 国土地理院の電子国土サイトからダウンロードし手を加えたもので、従来の殿山と殿山城、南の公方屋敷との位置関係などについて簡単に纏めてみました。中井均氏によれば、近年新たに確認された殿山城とともに和田集落の入口を監視する役割の城郭であろうと推定されています。(※「甲賀市史第7巻」)この「城館群」という捉え方が、あくまでも地理的な分布のみを指すものではなく、その機能連携にまで及ぶものとするならば、その背後に存在するはずの経済力、軍事力を伴う相応の地域権力の解明がとても気になります。

訪城アルバム
凸1 和田川
 甲賀市内では市内のあちこちに、赤色、緑色、青、色黄色などカラフルな忍者やサザエさん一家に加えてこちらのアンパンマンシリーズと、実にいろいろなキャラクターが出現します。なおこれはたぶん「危ないので川の近くでは遊ばないように」という注意喚起の掲示物のように思えます。

凸2 この辺りから
 当初は民家付近を避けて城跡の北側方面から廻りこもうと考えたのですが、生憎とその方面にはイノシシ除けのフェンスが張り巡らされておりました。このため再び南へ戻って民家脇から城跡東側の斜面を少しすすむと今度は行止まり(たぶん土塁)となりました。このためやむを得ずこの辺りから藪の中に入らせていただくこととなりました。

凸3 削平地
 藪を10メートルほど進みますと、「甲賀市史第7巻」では「郭2」として記載されているいくぶん開けた感じのするこの削平地に出ます。この削平地は西の方で用水溜池の堤塘に続いていることから、果たしてどこまでが本来の城跡としての地形であったのかが分からなくなっているようにも感じました。

凸4 北側の削平地
 「画像3」の個所からさらに北西に移動した辺りの様子で、左側の斜面は主郭方面からの切岸の延長部分に相当するはずです。この辺りから登ってみようと試みたのですが、足元の斜面が柔らかく肝心のストックも20cmほど潜り断念しました。

凸5 土塁状地形
 やむを得ず辺りを見回して足場の良さそうな小さな尾根筋(たぶん削り残しの土塁状地形)上を地形に沿って登りながら移動しました。残存している城跡の現状では東側からアプローチするには、やや有棘植物が繁殖しておりますが、このルートしか無さそうでした。
 甲賀の城跡ではこのように土塁上に沿って移動するという事例が目立ちます。今回2017年12月遠征分だけでも、獅子ヶ谷城、毛枚北城、多喜南城、多喜城、服部城と数え上げればきりがなくなります。なお主郭部の削平地に至るまでには途中2か所程の腰郭状地形が介在しています。

凸6 東側土塁状地形
 西側の櫓台地形の高さに比べますと、こちらの方は高さにして約1mほどの削平地となっています。

凸7 遠景
 このあとで訪れた公方屋敷方面から撮影したものです。

凸8 遠景
 公方屋敷方面から和田城方面へと移動する際に撮影したものです。
交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭全集」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)掲載なし
「日本城郭体系第11巻」(1980/新人物往来社)※掲載あり
「図解近畿の城郭第4巻」(2017/戎光祥出版)※和田城館群として掲載されている
「近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編」(2015/吉川弘文館)掲載なし
「近江の山城ベスト50を歩く」(2006/サンライズ出版)掲載なし
「近江城郭探訪 合戦の舞台を歩く」(2006/サンライズ出版)※コースガイド掲載あり

歴史・郷土史関係
「角川日本地名大辞典25滋賀県」(1979/角川書店)
「甲賀市史第2巻、第7巻、第8巻」(/甲賀市)
「和田惟政と甲賀武士」(2008/和田晋次著)
「戦国武将合戦事典」(2005/吉川弘文館)
「日本史広辞典」(1997/山川出版社)
「戦国大名家辞典」(2013/東京堂出版)

史料、地誌、軍記物
「甲賀郡志 復刻版」(1978/名著出版)

その他
国土地理院地図および航空写真
「和田城館群−甲賀の城郭1」(2011/甲賀市)※現地配布パンフレット(和田公民館下の東側県道沿いに常備)


更新記録
・2018年2月12日 HPアップ
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