凸 国指定史跡と藪
冒頭などに記したとおり以前に国の史跡指定を受けてはいるのですが、訪れた時点での城跡の整備状況は12月中旬という時期であるにもかかわらず、画像の通りであったことから決して見学しやすいとはいえず大変残念に思われました。たぶん基本は私有地内であろうことから、余りありあちこちに踏み跡を残すことも躊躇われ、また草むらに覆われた郭跡も足元がよく見えず、運悪く井戸跡などに嵌っても笑い話にはならないと踏み跡の確かな部分のみを往復して早々に撤退することとなりました。
この日は肌を刺すような寒さを除けば雲の少ない城館跡の探訪には絶好な日和で、このあと寺前城、村雨城へも足を延ばすことも視野に入れておりましたが、気力と体力の限界を感じまともな画像を得られるのは午後3時頃までであるとの理屈をつけて次の機会に譲ることとしました。もっとも仮に幸いにして次の機会が訪れたとしても、確実に気力と体力は減衰の一途を辿っていることだけは確実に予想できます (^^ゞ
( 2018/2/6 )記述
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新宮城南西部分 −画像A−
( 2017年12月12日 撮影 )
下記の「画像6」の個所を過ぎて、そのまま里道を進むとこの標柱が目に入る城跡の南西部に到達します。Y字路の分岐の様子からは到底国史跡指定の城跡がありそうには思えないのですが、この日は漸く7城目にしてこういった明確な文化財標柱の存在を目にしますとやはり嬉しくなります。
新宮城南西部堀切 −画像B−
( 2017年12月12日 撮影 )
肉眼ではもう少し明確な堀跡なのです。画像右手が主郭側で現状でも堀底から土塁までの高さは高いところでは4m以上を有していました。
新宮城南東虎口付近 −画像C−
( 2017年12月12日 撮影 )
主郭南東の虎口付近です。この辺りでは画像左手の土塁もその高さを増して虎口に対する防御意思を感じさせてくれます。
桝形虎口付近 −画像D−
( 2017年12月12日 撮影 )
肉眼ではもう少し明確に塁線部分を捉えることができるのですが、12月中旬でもこのような按配でありました。虎口としての通路部分は画像左側の窪地部分に相当する模様です。
新宮城現地解説板 −画像E−
( 2017年12月12日 撮影 )
枝を折るわけにもいかず足と手を動員して笹の枝を押さえておりますが、手を放したりいたしますと笹薮に埋もれた感じになり車移動の場合には見損なうかも知れません。
国土地理院航空写真画像 −画像F−
( 2018年2月6日 編集加工 )
国土地理院の電子国土サイトからダウンロードし手を加えたもので、北西約200mには服部城、南約50mには新宮支城ともいわれる城館跡も所在しています。なお南側の方形の道路はこの当時に開始された住宅地の造成工事に伴うものです。
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