凸 館・屋敷の集合体
倉治の集落内には土塁状の遺構が各所に分散していますが、全体としてのまとまりはあまり感じられませんでした。どちらかといえば大規模な城館としての縄張りというよりも、むしろ同名中などによる小領主層の屋敷群のような印象を感じます。下記画像Cの航空写真(国土地理院航空写真画像に手を加えたもの)からも分かるように、少なくともおよそ5、6か所くらいの屋敷区画が存在していたのかも知れません。
「画像4」の土塁には南部に明確な堀跡を伴い城館としてひとつのまとまりを見せていました。
この日の当初の予定では、この辺りで午後2時を過ぎていればそのまま撤収することも視野に入れておりましたが、未だ午後1時過ぎという時刻でもあり、西よりの季節風は冷たいものの大きな天候の崩れはなさそうに感じられたことなどから、気力と体力に照らして行けるところまで行くという方針に変更することとなりました。ある程度年齢を重ねてまいりますと、同じ地域を次の機会に訪れることができるのかどうかが見通せなくなってきたようです。
( 2018/2/4 )記述
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倉治城の土塁 −画像A(画像5)−
( 2017年12月12日 撮影 )
集落のほぼ中心部に所在している遺構で、郭部分をこの土塁のどちら側と見るかにより、想定される郭の配置などが変わってきます。土塁の傾斜する様子やその曲折している方向などを含めた全体の様子からは、「甲賀市史第7巻」においても示唆しているとおり、向かって右側(西側)を郭内と見た方が自然なように感じました。
倉治城の土塁 −画像B(画像8)−
( 2017年12月12日 撮影 )
上記の土塁からみて南東に接した個所に存在する遺構です。画像右側には堀跡と推定される窪地が確認されます。同地における残存が確認できる遺構としてはその土塁幅や高さ自体も最大のものであるように思いました。
国土地理院航空写真から編集加工 −画像C−
( 2018年2月3日 編集加工 )
国土地理院の電子国土サイトからダウンロードした航空写真画像に編集加工を加えたものです。なお、この撮影が行われた以降に実施された圃場整備事業などにより河川の流路、道路の配置をふくめて耕地の区画はかなり変貌しています。また赤丸の枠で示した番号は下記の画像の番号に一致させてあります。いわゆる「縄張図」あるいは「概念図」などを作成すれば分かりやすいのですが、年齢的に細かい作業を可能にする視力が無くなりましたのでご了承願います <(_
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