凸 木隠れ
当地を訪れましたのはある程度藪の見通しが効くはずの12月中旬という時期でしたが、全体的に藪に覆われており、倒木と草木の繁殖が著しく、結果的に東側の土塁上くらいしか足を踏み入れることができませんでした。なお新宮神社へと向かう市道脇には、この服部城を含むこの周辺に所在している城館跡の所在地などを記載した案内板が存在しているのですが、経年劣化も加わりあまり目立たないように感じました。なお城跡近くにはこの服部城に関する標柱、説明版などを見かけるようなことはありませんでした。また、倉治城方面からアプローチしますと新宮神社方面へと向かう途中に国重要文化財である新宮神社(文明17年造営とされる寄棟造り茅葺)の神門も所在しています。現在東側の谷筋方面を除く三方は宅地化されているという現状に鑑みますと、いかに大切に保存され続けてきたかを窺い知ることができます。
( 2018/2/5 )記述
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服部城の東側土塁南端部 -画像A-
( 2017年12月12日 撮影 )
「甲賀市史第7巻」の記述によれば、手前の笹が繁殖している辺りに小さな窪地が所在し、堀跡(水堀)遺構である旨を示唆しているのですが、当然ながらやや足元が沈みやすいこともあり余り近づけませんでした。(※むろん管理人の体重のせいでもあります) 「同書」ではこの東側土塁斜面を斜めに登り北へ向かうというルートの存在を示唆していますが、一瞥した限りではその存在を確認することはできませんでした。斜面自体も後年の腐植土が積重なり柔らかく感じられ、遺構を損なわぬように遠回りをして北東部から失礼いたしました。
服部城東側土塁北部 -画像B-
( 2017年12月12日 撮影 )
南側では比高差6mを有する土塁ですが、北に向かうほど低くなり、先端部に近い虎口付近ではその比高差は約2mほどになっています。
服部城-北東から -画像C-
( 2017年12月12日 撮影 )
丘陵下北東方向から撮影したもので、城跡は画像中央から左方向にかけて所在しています。なお北麓の道路部分との比高差は10mに満たない規模です。
国土地理院航空写真より編集加工 -画像D-
( 2018年2月5日 作成 )
国土地理院の電子国土サイトからダウンロードし手を加えたもので、南東約200mにはある程度名の知られた国史跡でもある新宮城とその支城も所在しています。なお南側の方形の道路はこの当時に開始された住宅地の造成工事に伴うものです。
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