滋賀県内の城館跡目次
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滋賀県の城館索引へ戻る 古屋敷館遠景 古屋敷館のロゴ 古屋敷館の土塁
1歴史・伝承  2残存遺構  3訪城記録・記念撮影  4アルバム  5交通案内  6参考・引用資料  7更新記録
関連ページへのリンク  2017年12月12日のブログ 杣中城 
所在地
 滋賀県甲賀市江南町市原小字三角
歴史、人物、伝承

市原城説もあるが不詳
 甲南町市原地域の北方で、水口町杣中と滝川の小流を挟み接している。「甲賀郡志」によれば、「市原城址 南杣村大字市原の北方に一帯の高地あり。近似その地を開きて家屋を立て畑地となすなど変遷甚だしきを以て、旧址の方域詳ならず。されど僅かに廃湟の如きものを存すると。この一帯を城上、萬代と称する名によりて推定するのみ」と記され」市原城に比定する記述が見られる。しかし「甲賀市史第7巻」などにると「市原城」と呼称される城跡はこれとは別に存在しているようである。このため観応の擾乱当時の観応2年9月(1351年、正平15年)に伊賀、伊勢の兵を率いた仁木氏(足利直義方)と佐々木六角氏(足利尊氏方)との間で行われた合戦の舞台でもある「市原城」()が、そのうちの何れであるのかについては明確ではないらしい。
 なお、市原一帯は「甲賀郡志」の記述によると、「この地中世六角氏の麾下望月出雲守重勝に属し」として、甲賀衆望月氏一族が支配していたとしており、実際に望月氏の本拠にも近いことから、同氏に関連する城館である可能性も想定されるのかも知れない。

確認可能な遺構
土塁、郭、堀ほか(残存部分はその北側が中心で全体の約半分ほどか?)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2017年12月12日 10時10分から10時35分
訪城の記録 記念撮影

 枯竹の音
 杣中城からは間に滝川の小流が流れてはいるものの直線距離にして約100mと指呼の間であり、杣中城東側の土塁状の地形などもその視界に捉えることができる近さにあります。館跡と推定されている個所は総じてこのような竹林が密生しており余り身動きも儘ならず見通しもそれほど良くはありませんでした。それでも逆U字形の土塁、堀跡などにより囲繞された区画の形状自体はどうにか把握でき、その東側部分(下記画像では竹林右端付近)には構造上は二重土塁となる遺構も確認できます。
 至る所に枯竹があるため、なるべく踏まないように心がけても、足元がふらついてどうしても音が出てしまうのですが、この時には珍しく転倒するようなことも無く無事に退出することができました。なお、この平地林北西部の水田沿いかなり深そうな用水池(注意表示あり)が所在していますので足元にはくれぐれも注意が必要です。
 「甲賀市史第7巻」の記述によりますと、城域についてはその残存遺構の縄張りから画像手前部分のテラス状の耕作地の全部または一部を含むものと推定されているように思われます。なお画像手前の耕作地地形自体は後年における圃場整備などによる地形であると考えられます。
( 2018/2/1 )記述
古屋敷館遠景
古屋敷館遠景 −画像A−
( 2017年12月12日 撮影 )
 南東方向の水田の畦道から同館跡全景を撮影したもので、残存している遺構はこの竹林を含む平地林のなかに所在し、概ね東西約80m、南北約30mから40mの範囲になります。

主郭北側の土塁 
主郭北側の土塁 −画像B−
( 2017年12月12日 撮影 )
 民家からは大分離れているとはいえ、この竹林を含む雑木林も無論の事私有地であることから、なるべく音を立てず竹木を痛めないように拝見するというのは骨が折れます。土塁の高さは郭内側では背丈未満ですが、北側(土塁の向う側)では堀跡地形も加わり2mから3mの高さとなっていました。

国土地理院航空写真より
国土地理院航空写真より −画像B−
( 2018年1月31日 編集加工 )
国土地理院の電子国土サイトからダウンロードしたものを編集加工した画像です。

訪城アルバム
北方から
凸1 北方から
 北側の杣中城から徒歩で移動していく途中で撮影したもので、既に次の目的地である古屋敷館がこうして目の前に所在していたことから全く迷うようなことはありませんでした。甲賀市内では中世城館跡が密集している地域が多いことから、20kmほど歩くことさえ覚悟すれば徒歩での探訪はかなり効率的です。

南西付近
凸2 南西付近
 とくに正式な入口は見当たりませんが、遺構南西部の市道脇から入らせていただくと比較的スムーズに拝見できました。この画像の右端の暗がりをすすめば、その場所がおおむね堀跡の南西部付近に相当しています。

東側の土塁
凸3 東側の土塁
 遺構の東側では部分的に二重土塁構造となっている個所が存在しています。画像左側が深さ2mから3mを測る堀跡で、これを挟みさらに郭内を形成する内側の土塁が所在しています。なお、この画像の外側土塁上は途中から竹林が密生しているため先に進むことはできそうにもありませんでした。

東側の郭と土塁
凸4 東側の郭と土塁
 郭部分は土塁で東西に分かれており、この東側部分の方が大きくなっています。

土塁上
凸5 土塁上
 画像の土塁上の左右に削平地(郭)が所在しています。画像右側が主郭部と思われる大きい方の郭部分に相当します。遺構は南側半分ほどが後年の開墾や圃場整備などにより消失しているようですので、明確な虎口の存在は確認できません。

南東からの遠景
凸6 南東からの遠景
 南東の西願寺付近からの遠景で画像の右端には杣中城方面も見えます。

交通案内


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いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「日本城郭全集」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)記述なし
「日本城郭体系第11巻」(1980/新人物往来社)記述なし
「図解近畿の城郭第1巻から第4巻」(戎光祥出版)記述なし
「近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編」(2015/吉川弘文館)記述なし
「近江の山城ベスト50を歩く」(2006/サンライズ出版)記述なし
「近江城郭探訪 合戦の舞台を歩く」(2006/サンライズ出版) ⇒ コースガイド案内図の表記のみ

歴史・郷土史関係
「角川日本地名大辞典25滋賀県」(1979/角川書店)
「甲賀市史第2巻、第7巻、第8巻」(/甲賀市)
「和田惟政と甲賀武士」(2008/和田晋次著)
「戦国武将合戦事典」(2005/吉川弘文館)
「戦国大名家辞典」(2013/東京堂出版)

史料、地誌、軍記物
「甲賀郡志 復刻版」(1978/名著出版)

その他
国土地理院地図および航空写真


更新記録
・2018年2月1日 HPアップ
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