城館跡の名称 | ■■■城名 | |
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関連ページのリンク | 2005/09/08の日記 飯塚氏館 用土城 | |
おすすめ評価 |
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埼玉県大里郡寄居町用土前郷地2166付近 | |
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■ほぼ不明な経緯 |
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堀跡か | |
周辺の地理的特徴 |
■利根川の支流藤治川の上流の櫛挽台地の中央部に位置し、南西1.2キロに猪俣党の飯塚氏館、西北西1キロに用土城などが所在しています。規模は南北方向については約100mというのは間違いのないところで、東西は100m乃至200m程ではないかと思われますが現在の地形からは明確には分りかねます。 |
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記録 |
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊) |
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無 | |
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2005/09/08 |
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( 2005/09/08 ) |
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記念撮影 |
北東側からの用土堀ノ内の遠景で、現在は水路となっているかつての堀跡が北側の防風林に沿って約200mほどにわたって残されていました。 ( 2005/09/08 撮影 晴れ ) |
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訪城アルバム |
■@集落の中の館跡と推定される場所の南側の不自然に曲がりくねった道路は、かつての堀跡の存在を連想させてくれます。
■Aもしかすると、ひょっとすると、ことによると土塁跡かも...たぶん違うとは思いますが60センチ程の土の高まりが館跡の北西にポツンと遺されていましたので一応記念撮影を。
■B城館跡とは全く何の関係もない案山子の画像ですが、夜中にヘッドライドに照らされる光景はちょっとしたミステリゾーンを思わせます。髪の毛のある首だけのマネキンが宙に浮いて見えるのではないかと...
■C北側の堀跡の水路は東にすすむほど狭く浅くなり、途中からはU字溝が埋設されていることがはっきりと分かるようになり屋敷林の途中で消滅していました。
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