城館跡の名称 | ||
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関連ページのリンク | 2005/09/26の日記 泉福寺館 三門館(和泉陣城) | |
おすすめ評価 |
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埼玉県大里郡江南町大字塩字荒井144付近 | |
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■近世初期の陣屋跡か |
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土塁、空堀 | |
周辺の地理的特徴 |
■江南町を西から東へ流れる和田川右岸の比企丘陵北端の北側緩斜面に位置します。土塁は北側と東側がよく遺されていますが、南と西側は自然地形の斜面の関係で遺構の確認が難しい状態です。館跡の大きさは東西南北50mから60m程度の小さな規模ですが、東側には深さ数十センチ程度の堀跡も遺されていることが分かります。また、滑川町の和泉に所在する泉福寺館、三門館が南東1.5kmほどの距離に所在しています。また、館跡の南側には比企郡小川町から熊谷に抜ける、現在は県道11号線となっている古い往還が所在します。 |
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記録 |
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊) |
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無 | |
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2005/09/26 |
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( 2005/09/26 ) |
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記念撮影 |
和田川の流れる北側の水田地帯から館跡の所在する丘陵地帯を望む。矢印が館跡の所在する辺りで、水田面との比高差はおよそ10m程度かと。 ( 2005/09/30 撮影 晴れ )
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訪城アルバム |
■@■( 2005/09/26 撮影 晴れ 以下同様 )
東側から見た塩館。黒っぽくみえる林の中に400年以上も前の遺構が静かに時を刻んでいます。 ■A■
林と畑の境にある坂道を下っていくと左側の林の中に現れる東側土塁の南端部分。写真を見ても分かりますが、雑草・薮蚊・蜘蛛の巣などのためできることならば4月から9月の半年間は避けたほうが賢明のようです。土塁の外側の堀跡もこの辺りが一番はっきりとしているのですが、上記の事情により写真の撮りようがありませんでした。 ■B■
東側土塁の中央付近にある小口のようにも見える土塁の切れ目です。1983年に行われた江南町教育委員会の測量調査の概略を記した「江南町史 資料編1考古」(1995/江南町)には特に記されていませんので後世の破壊跡かもしれません。 ■C■
東側土塁の北寄りの部分で、高さは外側で1.5m近くありそうです。 ■D■
北側土塁の西よりの部分で、この左側に小口と推定されている土塁の切れ目があるのですが、写真を撮ってはみたものの余りにも雑草・藪が多くて使いものにならず、あらためて肉眼とデシカメの性能の違いをまざまざと体験することとなりました。 ■E■
塩館はこの八幡神社境内からみて北側の山林の中にあります。運行本数の余り多くないバス停が目の前にあり、その名も「塩八幡前」という名称です。 |
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・小川町から熊谷市に抜ける県道11号線の江南町の水田地帯に出る手前の左側に八幡神社が目印、また県道の反対側には「そば茶房やしろ」という手打ちそばの店舗がありますのでお勧めです。 |
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