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礼羽氏館の南側に所在する寛永2年(1625年)に創建された真言宗智山派金蓮院。江戸時代にこの辺りを知行していた徳川家の旗本設楽氏の先祖設楽兵庫頭貞清が開基とされているようです。
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現在も信仰を集めている安産と子育ての守護神である鬼子母神が金蓮院の境内の一角にあります。古代インドではハーリティ(訶梨帝母)と呼ばれ500人の子を有しながら人の子を取って食べるという鬼神でしたが、釈迦の説諭によって悔い改めて子どもを守る善神に生まれ変わりました。室町時代に日蓮宗の法華経の説話にとりあげられて庶民の信仰対象として普及したといわれています。したがって日蓮宗の寺院には鬼子母神が祀られることが多いとされていますが、こちらの寺院は真言宗でした。
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昭和11年に近くの薬師堂から移設されたという金蓮院の板碑で、「調査報告集第1集 加須市の青石塔婆(板碑)」(1978/加須市) によると以前は5体存在したようですが、無残にも折り取られた跡が2か所残っていました。礼羽氏との関係は不明ですが、造立時期は14世紀始め鎌倉時代の末期の延慶年間から建武年間にかけてのものであったようです。
画像クリックで板碑の拡大画像に変わりますが、中央の板碑は正安2年(1302年)と刻まれていました。
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金蓮院の北側の道路の両脇には現在も水路が流れていますが、この道路もかつては堀跡の一部だったのでしょうか。
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上記の堀跡と屋敷の南東の角部分でつながる南北方向に伸びる深さ80cmの水堀跡も遺されています。名主などの階層の屋敷などに比較的多く見られるようで、よく一般的にはその系譜を辿れば兵農分離以前後北条氏の時代ぐらいまではまで遡るものかもしれませんが、そうした資料などは残されてはいない模様です。
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