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関連ページへのリンク  2006/10/13のブログ 北鬼窪氏館
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態3 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯2 印象2 総合24
所在地
埼玉県南埼玉郡白岡町岡泉丸山1150付近
歴史と沿革

小字名としての伝承も
 「白岡町の文化財 第5集 地名考」(1980/白岡町教育委員会)の大字岡泉の小字名として、次のような解説が記されています。
 「丸山(まるやま) 昔、丸山城(小さな館)があったといわれ、小規模な土塁や堀があったが耕地整理によって現在はない。丸は城または堀に囲まれている意味から地名になったものと思われる。鎌倉時代の武士が農業経営をしながらよく館の周りに土塁や堀を作ったという」(全文をそのまま転載)
 また「日勝村史(大正14年刊行)」(1991/白岡町教育委員会)では岡泉村の地名に関するものとして次のような記述があります。
 「正慶の頃(1332-1333)、新田氏の北条高時と戦うや、義貞は川越に陣し、その弟脇田義助は下総国小手指原に出陣せり。義助勝ちて兄義貞の川越の陣に会せんとし野田村に来り大徳寺に憩う。義助の帰陣後、北条氏の残党入り来り、残糧を収め、大徳寺および大日堂を焼きて退く。当時、野田と岡泉との間に沼あり。これを隔てて本村を望むときは地形恰も丘埠の如くなりしを以て岡泉村と称せしという」(全文転載)
 この北側の野田村方面から眺めた「地形恰も丘埠の如く..」という光景は、まさしく丸山を中心とした現在の丘陵地帯を指すものと考えられます。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

東西方向を低地に挟まれた台地
 大宮台地の一部である比高差5mほどの白岡の台地南東部に所在し、城跡とされる丸山付近はその中でも更に比高差にして3mほどの緩やかな丘陵地帯を形成しています。

文化財指定
訪城年月日
2006/10/13
訪城の記録 記念撮影

( 2006/10/13)
だいたいこの辺りかと..
 「埼玉の中世城館跡」などでは漠然と鎌倉期の遺構とされているものの、その詳細は不詳..然し、よく考えれば鎌倉期で「城」というのもやや妙な話で..
折りよく梨園のネットの保守作業をされていた地元の方に、「丸山」の地名の範囲を伺えたのが唯一最大の収穫かと。
 さて遺構らしき存在は耕地整理のために現存せず、ためしに西側の比高差5メートルほどの台地の麓から高台となっている風景を展望したところ、紅白に塗装された送電線が屹立しておりいまひとつの景色にて。このため送電線の存在が目立たない個所まで接近して台地を撮影して誤魔化すのでありました。
 また、丸山と呼ばれている地域は北側方向にも緩やかな傾斜を確認、台地の中でも更に全体として微高地を形成している様子が窺がえましたが、現在の地形からはそれ以上のことは分かりませんでした。

余り意味はありませぬが..一応クリックで拡大致由ニテ御座候
肉眼ではもう少し比高差を感じるのでありますが..
( 2006/10/13 撮影 )
訪城アルバム
念のため..一応クリックで拡大致由ニテ御座候
■1■屋敷の囲いのような地形にて
 一見すると何やら、「中世の城館」に関連する土塁のようにも見えるのですが、恐らくは近世以降の風除けを兼ねた屋敷囲いのようなものかとも思われました。 規模は高さ60センチ前後で総延長30mほどのL字型で、「小字丸山」と呼ばれる区域の北西の端に所在しています。
交通案内

・県道78号線と65号線が交差する岡泉の交差点の西側約300m付近の微高地。
いつもガイド の案内図です 地図サイトいつもガイド 

凸地誌類・史書・古文書などの記述状況
■新編武蔵風土記稿
 岡泉村の項には関連する記述はありません。
■武蔵志
 現存する資料では埼玉郡南部の記述を欠いています。

凸主な参考資料
「埼玉の中世城館跡」(1988/埼玉県教育委員会)・「関東地方の中世城館」2埼玉・千葉」(2000/東洋書林)
「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「新編武蔵風土記稿」(1996/雄山閣)・「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「埼玉県史 資料編10近世1地誌」(1979/埼玉県)より「武蔵志」「武蔵演路」など
「白岡町史 通史編(1989/白岡町)」・「白岡町の文化財 第5集 地名考」(1980/白岡町教育委員会)
「白岡町史資料 地誌」(1982/白岡町教育委員会)・「ふるさと白岡」(1984/白岡町教育委員会)
「日勝村史(大正14年刊行)」(1991/白岡町教育委員会)
 

・2006/12/03 HPアップ

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