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城館跡の名称
関連ページのリンク  2005/11/19の日記 門井館 花崎城
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ5 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯1 印象1 総合20
所在地
埼玉県加須市久下
歴史と沿革

児玉党久下塚氏の館跡か
 「角川日本地名大辞典11埼玉県」「埼玉県史 別編4年表・系図」などによれば、鎌倉時代初期武藏七党児玉党の荘二郎弘定の子親弘が久下塚本太郎と称して久下の地に居館を構えたとされていますがその詳しい事績については不明な模様です。なお、内閣文庫「諸家系図纂」の児玉党の系図では親弘―重能―重綱―景春の4代について記されています。また応永4年(1397年)の第2代鎌倉公方足利氏満の円覚寺塔頭黄梅院への寄進状に「久下五郎右衛門尉」の闕所を与える旨の記述があります。
 ちなみに熊谷市の熊谷氏と同族の私市党久下氏とは別の一族で、古文書類にはたびたび「久下」の地名が散見されますが、具体的にどちらを指し示しているのか判断が難しい場合も少なくないようです。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■旧利根川であった会ノ川右岸の自然堤防上に所在しているということですが、残念ながら加須市の工業団地の造成などにより周辺の景観が一変していて現在の様子からでは中世城館が存在していたとはとても想像できません。南東約900メートルに花崎城、東1.8キロメートルに門井館が所在します。

参考資料

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 通史編2中世」(1988/埼玉県)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「加須市史資料編1」(1984/加須市)
「加須市史通史編」(1981/加須市)
「調査報告集第3集 加須市の地名」(1979/加須市 

文化財指定
訪城年月日
2005/11/19
訪城の記録

( 2005/11/19 )
郵便局の建物の名称だけが当時を偲ぶ
 東武伊勢崎線の北側の久下郵便局付近が館跡のようなのです。宅地化が進行していくなかで多少農地が残ってはいます。しかし、およその場所を一瞥しただけで地表の痕跡については本当に全く何も無いことが分かりました。どうにも仕方が無いので、地名が看板に大きく記されている久下郵便局の写真を撮影して周辺を一回り歩いただけで撤退を余儀なくされました。

記念撮影



 加須市の久下郵便局の建物で、郵便局の看板の下の方に小さく「加須久下」と書かれていました。
資料などから推定するとこの郵便局からその先に見えるコンビニの辺りが久下塚氏の館跡とされている模様なのですが、このように正直に言えばなんとも殺風景な印象は拭えませんでした。

  ( 2005/11/19 撮影 晴れ )
訪城アルバム
■1■
 久下郵便局の西側にはこのように農地も残されていますが四面とも新設された道路で区画されていています。この写真の道路よりもやや高くなっている農地の地形が自然堤防など以前からのものかどうかは何とも判断できませんでした。
しかし、この区画に所在している民家の宅地の地表面と同じくらいの高さなので、多少なりとも元来の地形を継承しているのかも知れません。
交通案内

・東武伊勢崎線北側の加須工業団地西端 MapFan Web の案内図です  

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