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西側の水堀はやや埋め立てられている感じがしましたが、深いところでも水深は1メートル前後かと思うのですが黒々とした水の色は水堀の深さを覆い隠していました。具代的に測定する方法が無く余り近寄って堀の中に落ちるのも困るので。堀底から外側の地面までの高さは恐らく2m以上はありそうです。
写真の右手前の部分で水堀が外堀へ繋がる部分と内堀として右方向に曲がる部分に分かれています。
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南側の屋敷門のところまでの距離はおよそ50m以上はあるようですが、個人の方の宅地の中ですのでせいぜいこの辺りから拝見するのが妥当かと。
屋敷内からはかつて元亨元年(1321年)の板碑一体が出土したとのことです。
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屋敷門への路地を挟んで「記念写真」の東側に続いている南側堀跡部分は、この時は水が無く空堀状となっていましたが、規模としては「記念撮影」の写真の水堀とほぼ同様の大きさでした。
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水堀の内側の縁は20センチほど地面に盛り上がりが見られるのですが、あえて土塁といえば土塁に相当するかとも思われます。
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館跡の東側の境界と思われる部分には現在U字溝の水路が敷設されていますが、その位置から見て本来は水堀であったものと思われます。また、20年以上前の資料では堀跡が一周していると記されているのですが、北側の部分については通路が存在しないためその詳細な様子は確認できませんでした。
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南東の角部分から拝見した屋敷門。屋敷林の手前部分には途中まで内堀が存在しているようです。
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館跡の北西角に所在している別雷命(わけいかづちのみこと)他を主祭神とする雷電神社。創建年月不明ですが、「新編武蔵風土記稿」によれば大桑村の鎮守とされていました。
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