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城山公園南側の入口はどこから見ても完全な公園で、一組の親子連れが中央の郭上に建設された東屋でお弁当を広げていました。平日なのに、はてなと思いましたがよくよく考えれば今日は埼玉県民の日で小中学校はお休みの日でした。
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しかしよく見ると「花崎遺跡」と書かれた加須市の指定文化財の標柱が立てられています。縄文時代の遺物や平安時代の住居跡なども確認されているためこうした呼称となっていますが、城山公園の中は空堀、水堀、郭跡などが部分的ですが大変良く遺されています。
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南側の空堀の上に架けられた橋の上から西側方向を撮影したもので、写真右側の南北約30m、東西約90mの規模を有する郭はそのほぼ全体が遺されています。 しかし、左側の郭部分は北側の公園内の個所が残されているだけで南側は住宅地となっています。
堀幅は歩測によると上面で約6mほどかと思われました。
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上の写真と同じ場所から東側の空堀を撮影したものです。この堀跡は現在は空堀となっていますが周辺が湿地帯であるという立地条件から考えて以前は水堀であったように思われました。
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中央部の郭の北側には今も水堀が遺されていますが、水質が驚くほどきれいなので湧水なのかもしれません。(東側部分)
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同様の水堀の西側部分で、水深は恐らく40センチから60センチほどでしょうか。
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北側から撮影したもので、手前が北側の水堀でその奥が中央部分の郭。
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中央の郭の東側部分で、この辺りでは水堀の水深はかなり浅くなって北側に残されている湿地帯に続いていました。
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南側の堀跡をその東端部分から撮影したもので、奥の方に見える橋が「3」「4」の写真の木橋です。
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西側の小郭の北側部分。水堀の水深は北側部分の方が深いためこのような柵が設置されているようです。なお、この小郭の南側部分が上記の「記念撮影」の写真です。
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水堀を撮影していると一羽の鴨が餌を探して泳ぎまわっていました。始めはだんだん遠ざかっていたのですが、何を思ったのか急に方向転換してわざわざ目の前までやってきて餌を啄ばむ仕草を繰り返していました。
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鴨にも自己顕示欲があるのでしょうか。別段愛想を振りまいているような表情はしていませんでしたが、自分の目の前で盛んに水面に顔を突っ込んで餌を探しているようでした。よく見ていると上手にバックもしていました。
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城山公園の東口のフェンスの外側には立派な解説板が設置されています。埼玉県内の中世城館の発掘では最も早く畝堀などの存在が確認された調査であったようです。解説文では「戦国時代には居館を構え」と記されていますが、明らかにその規模からみても立派な防御機能を有する城郭です。
花崎城址は明治34年(1901年)に東武伊勢崎線の敷設工事により南北に分断されたそうです。
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線路の北側の城跡公園とスーパーの駐車場付近では1980年から1981年にかけての発掘調査により、畝堀、障子堀、出枡、馬出、堀跡などが確認された場所のようですが、現在地表上からではそれらの存在を確認することはできません。こちらの公園内にはそうした発掘された遺構についての解説板などは設置されていない模様です。
2005年11月14日撮影
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城跡公園の西側のスーパーの駐車場のこの辺りで畝堀や障子堀、馬出などの遺構が集中して確認されたのではないかと思います。せめて地表の所に何かマーキングだけでもあると嬉しいのですが、殺風景な区画された駐車スペースがあるだけです。ちなみに写真を撮影している辺りでちょうど出枡形の土塁が確認されたのではないかと思いますが。
2005年11月14日撮影
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