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城館跡の名称
関連ページのリンク  2005/11/14の日記  花崎城 門井館
おすすめ評価
訪城季節3 遺構状態1 探し易さ4 交通利便4 体力消耗5 歴史経緯2 印象1 総合20
所在地
埼玉県加須市大字川口550
歴史と沿革

鎌倉の御家人一族の館跡か
 「吾妻鏡」の暦仁元年(1238年)2月17日の項に将軍藤原頼経の上洛にともない供奉した武藏武士の一人として先陣192騎の16列目に河口八郎太郎の名が記されています。「加須市史」ではこの人物が当時における河口の在地領主であったと推定しています。また、同所の西蓮寺は河口氏が創建したとも伝わっているようですが定かではないようです。

確認できる遺構
なし
構造的特徴および
周辺の地理的特徴

■川口という地名は鷲宮神社所蔵の15世紀中頃の神鏡に河口郷の名が見られるとともに、鎌倉時代に奥州へ通じる道の渡しがあったことに由来するという伝承があるように中川などの河川沿いに所在しています。西1.8キロメートルに門井館、西南西2.5キロメートルに花崎城が所在しています。

参考資料

「中世北武蔵の城」(梅沢太久夫 著 2003/岩田書院刊)
「埼玉県史 別編4年表・系図」(1991/埼玉県)
「埼玉県史 資料編7中世3記録1」(1985/埼玉県)
「新編武蔵風土記稿」(1981/雄山閣)
「武蔵国郡村史」(1954/埼玉県)
「角川日本地名大辞典11埼玉県」(1980/角川書店)
「加須市史資料編1」(1984/加須市)
「加須市史通史編」(1981/加須市)
「調査報告集第3集 加須市の地名」(1979/加須市)  

文化財指定
訪城年月日
2005/11/14
訪城の記録

( 2005/11/14 )
館跡といわれなければ分からない...
 「新興住宅地の中にポツンと寺が一軒所在するというだけの状態で、本当に何の形跡も無く蕎麦も食べ損なったし...流石にこれ以上書くことがありません」と日記の方には書いておきましたが、中世城館跡としての名残は本当にこれといって何も見出せませんでした。寺院の建物自体も裏側から眺めるとあまりそれらしくもなく、2回ほど辺りをぐるぐると回って探してしまいました。
 すでにこの時点で午後2時30分をいくらか回っていましたので、何時もの遅い昼食をとるべく直ぐ近所の蕎麦屋兼うどん屋に向ったのですが、無情にも「準備中」の札が...。このあと花崎城他2か所に立寄ったものの、ほとんどこれといった成果も無く昼飯抜きの日没コールドとなりました。

記念撮影


 他に撮影するものが無かった中での唯一の写真です。遠景を撮りたくても不通の住宅地の中なので構図上どうにもならず、区画された住宅内の道路はどう見ても堀跡には程遠い印象です。現地に所在する慶長年間頃の創建と推定される曹洞宗西蓮寺の山門を撮影させていただいて、せめて所在地を確認したという痕跡をとどめるという結末にあいなりました。
 30年ほどの前の地図によると、周辺には殆ど住宅が存在せずそれなりの景観が残っていたように思うのですが。

 
( 2005/11/14 撮影 曇 )
交通案内

・加須市の東の外れ川口地区の西蓮寺を目指す。 MapFan Web の案内図です  

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