茨城県内の市町村別城館跡の目次へ
トップ頁へ戻る 茨城県内の市町村別城館跡の目次へ 画像掲示板へ 「ほっつきブログ」へリンク 頁の最後へ移動

素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。

茨城県牛久市の城館索引へ戻る 牛久城遠景 牛久城のバナー 牛久城の空堀
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/1/4のブログ 東林寺城 遠山城 牛久陣屋
所在地
 茨城県牛久市城中町字城中、根古屋
歴史、人物、伝承

岡見氏の本城
 「牛久市史」などによると、牛久城の名称は永禄9年(1566)頃のものと推定されている「小田氏治見方地利覚書」(小田ミかたの書付、上杉文書)に「...一 うしよく(牛久) おかミのやましろ(岡見山城)...」と記されており、その当時からの名称であるものと考えられている。また天正10年代と推定される「岡見氏本知行等覚書写」には、「牛久城 岡見治部大夫(治広)」と記されている。なお、岡見氏の出自には土岐氏一族などの諸説もあるが、小田氏の一族とするものが有力視されている。
 比高差約15mほどの台地に占地する外郭部を伴う広大な城郭であり、東林寺城の外郭部と同様に、地方領主である岡見氏の力量を遥かに超える規模を有する縄張であるものと考えられる。岡見氏の牛久城は、戦国時代末期の後北条氏影響下での、高城氏、井田氏、豊島氏などに課された牛久在番などの記録が残されている一方で、多賀谷氏・佐竹氏の軍事的圧力により、有力支城である足高城の落城に続き遅くも天正18年(1590)の後北条氏滅亡までには落城したものと考えられる。
 なお旧牛久城の西側台地上に占地する牛久陣屋は、第2代当主である山口弘隆により築造されたものである。山口氏の牛久入封は寛永6年(1629)であるが、実際にはこれより先、常陸・遠江両国で1万5千石を領知された父の山口重政が当所を居所としたことに始まるともいう。
 重政自身は元々関ヶ原合戦などの戦功により1万5千石を領する大名であったが、慶長13年(1613)の大久保長安事件に連座し改易となった。然し大阪の陣での子息の戦功などにより、再び大名に列することとなった。
 重政の遺領は四男である弘隆が継承したが、弟である重恒に5千石を分地したことにより、石高は1万17石へと減じた。以後山口氏は12代にわたり牛久の地を治めそのまま明治維新を迎えた。

確認可能な遺構
 郭、土塁、土橋、小口、空堀など
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年1月4日 14時15分から15時30分
訪城の記録 記念撮影

 何といってもこの日の城館探訪の目玉でしたので、当初は周辺遺構すべての踏査を予定しておりました。けれども到着した時点で、すでに事実上の日没までは残り2時間ほどとなってしまいました。このためあくまでも中心部分のみの探訪に変更して駆足で回ることを余儀なくされました。それにしては、何と20分も費やしてのんびりと牛久沼越の遠景を撮影しておりました(苦笑)
 肝心の遺構の方では、堀跡の規模はやはり貝原塚城を凌駕するものがありました。しかし、堀跡は思ったよりも歩きやすかったのですが、何といっても日没までの時間の無いのが惜しまれたのでありました。
 ふと思い出しましたが、この日はほぼ朝食、昼食抜きで都合8カ所をめぐることとなり、こののちも牛久陣屋と東林寺城に立寄りました。3年近くも以前の探訪での出来事ですが、今では最早そうした体力・気力が伴いません(汗) 
( 2011/11/7  記述 )

牛久城の遠景
牛久城の遠景
( 2009/1/4 撮影 )
訪城アルバム
空堀
土塁
凸1 空堀
 主郭西側の空堀で、画像左側の主郭側は深さ10mを超えていました。
凸2 土塁
 二の郭西側の土塁で、高さは優に6mを超えておりました。

土橋
小口
凸3 土橋
 「木戸口」(字名)へと続く土橋。
凸4 小口
 副郭の小口で、土塁の高さは目測で約3m程度。

主郭への道
大手口付近 ⇒ 画像クリックで現地解説板の画像へ
凸5 主郭への道
 鋭い切岸により防御された主郭へとつづく細長い土橋状の地形で、滑り落ちると這い上がるのに難渋します。
凸6 大手口付近
 外郭部は宅地化が進行し、解説板がなければ直ぐには大手口とは気がつきにくい状況となっていました。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)
「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)
「図説茨木の城郭」(2006/茨城城郭研究会/国書刊行会)

■郷土史・歴史関係
「茨城県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「茨城県の歴史」(1997/山川出版社)
「角川地名大辞典8茨城県」(1983/角川書店)、
「牛久市史通史編 原始古代中世」(2004/牛久市)
「牛久市史中世1古文書編」(2002/牛久市)
「牛久市史中世2記録編」(2000/牛久市)
「茨城県遺跡地図」(2001/茨城県教育委員会)⇒県内全域を網羅、ただしA3版2分冊のために持ち運びに不便。

■史料
「日本城郭史料集」(1968/大類 伸 編集)
 ⇒諸国廃城考

■その他
牛久市公式HP

・2011/11/07 HPアップ
・2019/06/13 画像ズレ補正
トップ頁へ 茨城県内の市町村別城館跡の目次へ この頁の最上段へ移動