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茨城県牛久市の城館索引へ戻る 牛久陣屋 牛久陣屋のバナー
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/1/4のブログ
所在地
 茨城県牛久市
歴史、人物、伝承

山口氏の大名陣屋
 牛久陣屋は第2代当主である山口弘隆により築造された。山口氏の牛久入封は寛永6年(1629)であるが、実際にはこれより先、常陸・遠江両国で1万5千石を領知された父の山口重政が当所を居所としたことに始まるという。
 重政自身は元々関ヶ原合戦などの戦功により1万5千石を領する大名であったが、慶長13年(1613)の大久保長安事件に連座し改易となった。然し大阪の陣での子息の戦功などにより、再び大名に列することとなった。
 重政の遺領は四男である弘隆が継承したが、弟である重恒に5千石を分地したことにより、石高は1万17石へと減じた。以後山口氏は12代にわたり牛久の地を治め明治維新を迎えた。なお現在の陣屋跡は文久3年(1863)に大きく改修されたことが現存する陣屋図から判明しているが、一連の建物は明治初期には概ね取壊されたという。

確認可能な遺構
 土塁など
文化財指定
 牛久市指定史跡
訪城年月日
 2009年1月4日 15時50分から16時10分
訪城の記録 記念撮影

 牛久城内の外郭部分なので、正に行掛けの駄賃のようなもので、実際に東林寺城まで歩いていく予定だったので、ついでに立ち寄ったまでの探訪でした。陣屋は牛久城の外郭の北西部の舌状台地の一角に所在し、陣屋跡に関わると思われる土塁の一部が陣屋跡の東側に沿って堀跡と共に残存していました。なお、その土塁の上では白い猫が気持ちよさそうに日向ぼっこをしておりました。現地には公衆トイレと小川芋銭についての説明板はありましたが、探し方が悪いのか牛久藩主山口氏とその陣屋に関するものは見当たらずじまいでした。
 さて山口氏といえば、思い起こすは2007年11月の未だ未更新の大阪遠征分。その時に訪れたのが、大阪夏の陣で木村長門守重成と戦い討死を遂げた山口重信(重政の子)の墓でした。この戦功により後に大名の列に復帰した牛久藩主山口氏そのものなのでありました。 
( 2011/10/27  記述 )

牛久陣屋の土塁跡
牛久陣屋の土塁跡
( 2009/1/4 撮影 )
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「江戸300藩城と陣屋総覧東国編」(2006/学研)
「国別城郭・陣屋・要害・台場事典」(2002/東京堂出版)
「図説茨木の城郭」(2006/茨城城郭研究会/国書刊行会)

■郷土史・歴史関係
「茨城県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「角川地名大辞典8茨城県」(1983/角川書店)、
「牛久市史史料編1」(1979/牛久市)
「茨城県遺跡地図」(2001/茨城県教育委員会)⇒県内全域を網羅、ただしA3版2分冊のために持ち運びに不便。
「日本史諸家系図人名辞典」(2003/講談社)

・2011/10/27 HPアップ
・2019/06/13 画像ズレ補正
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