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茨城県牛久市の城館索引へ戻る 遠山城遠景 遠山城のバナー 北辺の土塁
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/1/4のブログ
所在地
 茨城県牛久市遠山町
歴史、人物、伝承

牛久城東方の城郭
 牛久城が所在する台地東側の独立台地の南端部に占地し台地続きの北辺部を除き残る三方は約15mほどの崖地を形成し、北辺部の地峡には堀切と土塁により遮断されている。南端部を主郭とする複数の郭から構成されていたものと推定されるが、現状は宅地化、耕地化などにより、その縄張りの詳細については不明である。なお、城跡と推定される領域には、小字名として「龍ガイ」(要害からの転訛と推定)、「東城台」の地名も遺されている。
 鎌倉、室町期には臼田氏の領知するところであった。また戦国期末にはその地理的要素から岡見氏或いは土岐氏などとの関わりが窺われるが、これを傍証する史料は見当たらない模様である。

確認可能な遺構
 土塁、堀切、竪堀
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年1月4日 13時15分から14時00分
訪城の記録 記念撮影

 鹿島神社北側に所在する高さ2m、延長40mほどの土塁が唯一確実な遺構です。ここにたどり着くまでが一苦労で、道幅が狭く然も未舗装。このため、車を麓の空地に停めて、できるだけ比高差のない尾根筋を目指して篠竹の藪を直登。といってもその比高差は僅かに10mほどと体に優しい踏査でした。
 なお当初は疑問に感じていた東麓に散見された謎の出枡状地形の用途が判明。遠山の集落は往昔の牛久沼の湖水の影響を避けるため、けっして広いとはいえない台地上に集中し道路幅員も狭隘。このため明らかに駐車スペース等が不足し、近年になり台地の麓に平坦な人工地形を作り出した模様なのでありました。
( 2011/10/29  記述 )

遠山城の遠景
遠山城の遠景
( 2009/1/4 撮影 )
訪城アルバム
竪堀跡
北辺の土塁
凸1 竪堀跡
 北側の尾根続きの台地を遮断する堀切から東側崖線へとのびる竪堀状の地形です。
凸2 北辺の土塁
 尾根続きの台地地形を遮断する堀切と土塁ですが、堀切の方は殆ど埋め戻され僅かな窪みを残すのみでした。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)

■郷土史・歴史関係
「茨城県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「角川地名大辞典8茨城県」(1983/角川書店)、
「牛久市史通史編 原始古代中世」(2004/牛久市)
「牛久市史中世1古文書編」(2002/牛久市)
「牛久市史中世2記録編」(2000/牛久市)
「茨城県遺跡地図」(2001/茨城県教育委員会)⇒県内全域を網羅、ただしA3版2分冊のために持ち運びに不便。

・2011/10/29 HPアップ
・2019/06/13 画像ズレ補正
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