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茨城県つくばみらい市の城館索引へ戻る  御出子城の遠景 御出子城
1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  守谷城 筒戸城 菅生城
所在地
 茨城県つくばみらい市筒戸(字御出子)
歴史、人物、伝承

守谷城の支城という説も
 「守谷町史」「北相馬郡誌」などによれば戦国時代の城跡とする記述がみられますが、その史料的な裏付けはいまひとつ明確ではないように思われます。
 なお、御出子村は「元禄郷帳」「天保郷帳」「明治初年の旧高簿」においてすべて21石余とされ、安政2年の家数は6軒、人口31人となっています。(「角川地名大辞典8茨城県」より) このことから戦国時代の末期において仮に城郭が存在したとしても、台地としての規模の小ささとあわせて筒戸城の補助的な役割を担う砦のような小規模な軍事施設であったのかも知れません。

■「守谷町史」第1章第8節「将門についての守谷の遺跡と伝承」より
 御出子城(おんでしじょう) 谷和原村筒戸。この城も守谷の相馬領内にあって、相馬氏の城である。「将門はこの地の女性を寵愛し、一子をもうけて若松と名づく。立派な風采をしていたので「御出子」といった。これが地名となって「御出子」というようになった」という伝承が残っている。天正年間(1573−1591)に相馬小三郎親胤が城を造り、御出子城といった。

■「北相馬郡誌」から「小絹村の項」より(文語体のため現代の口語体変更)
 御出子
 田安家の所領で石高僅に21石。この地に妙見八幡があるが、千葉義文が領地巡検の時この地に来て建立したものである。御出子という地名は平将門が守護であった時に中村佐市の娘某を愛妾として一子をもうけ若松と名付けた。義文は巡検の際にこのことを聞き若松と対面した。若松は時に5歳であったがその容貌が秀でていたので「御出子」
といい、そのまま当地の地名となった(以下略)
 御出子城跡
 大字筒戸字御出子にあり、城主は相馬家でその記録によると相馬大内蔵慶長15年10月18日御他界、相馬求馬元和7年7月14日御他界、相馬主膳元和8年7月18日御他界とあり、この3代で家系は途絶え領地は収公されたとあるがその詳細は不明である。 

確認可能な遺構
 不明
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年12月4日 12時時00分から12時02分
訪城の記録 記念撮影

 あくまでも山勘
 下記の画像は探訪時に確信をもって撮影したものではなく、筒戸城の帰り道に何気なく東側を眺めると菅生城の地形に酷似した洪積台地が目に入りたまたま撮影したものに過ぎません。
 その後守谷城、筒戸城などの更新に際して関係資料を漁るうちに御出子城の名称が散見されましたので、その御出子という小字名の所在地とこの地域の城郭に相応しい地形の条件から勘案した場合には、この台地以外には考えられないとの極めて曖昧な憶測によるものです。
 従って台地上をくまなく踏査した訳でもなく遺構の存否、所在地に関する事実関係も何ら史料的裏付けのあるものではありません。また台地としての比高差につきましては、電子国土の地形図と現地での目測によりますと、画像右側の台地部分で水田面からはおよそ10m前後の高さを有しているものと推定されます。
 なお、この台地上には相馬氏の守護神でもある妙見八幡神社の社殿が集落の中心部に所在することも城跡説の傍証のひとつと考えられますが無論決定的な要素ではありません。ただし遠目には筒戸城の台地よりも遥かに城郭に相応しいと思われる独立台地を形成していたのでありました。     ( 2009/01/01記述 )


御出子城の遠景 ⇒ 画像クリックで拡大します
御出子城の遠景
( 2008/12/04 撮影 )
交通案内

・筒戸城の約100mほど東側の台地(推定)

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

■城郭関係
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)
⇒巻末の城郭一覧では「相馬大内蔵の居城。天正年間に滅ぶ。」(「北相馬郡誌」からの引用か)とのみ記載されています。

■郷土史・歴史関係
「守谷町史」(1985/守谷町)、「北相馬郡誌」(1918/野口如月編著/1975に崙書房より刊行された影印版)
「角川地名大辞典8茨城県」(1983/角川書店)
■史料
なし

■その他
なし

・2009/01/01 HPアップ
・2019/06/13 画像ズレ補正
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