素人の趣味のため思い込みと間違いについてはご容赦を。お気づきの点などございましたらご教示願います。
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2008/12/04のブログ 凸守谷城 凸菅生城 | |
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茨城県つくばみらい市筒戸(字中城1022ほか) |
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土塁、堀跡、郭跡? |
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なし |
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2008年12月4日 10時55から12時00分 |
( 2008/12/04 撮影 ) |
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・つくばエクスプレス車両整備基地の北側台地 |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
「日本城郭体系 4」(1981/新人物往来社)・「日本城郭全集 3」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 「図説茨木の城郭」(2006/茨城城郭研究会/国書刊行会) ■郷土史・歴史関係 「角川地名大辞典8茨城県」(1983/角川書店)、「戦国軍記事典 群雄割拠編」(1997/和泉書院)、 「常総戦国史」(川島 建/2002/崙書房)、「東国戦記実録」(小菅與四郎/1926/崙書房) 「東国戦戦見聞私記」(1997/常野文献社) 「守谷町史」、「谷和原村の歴史 史料編」(2001/谷和原村)、「水海道市史 上」(1983/水海道市) 「茨城県遺跡地図」(2001/茨城県教育委員会)⇒県内全域を網羅、ただしA3版2分冊のために持ち運びに不便。 「北相馬郡誌」(1918/野口如月編著/1975に崙書房より刊行された影印版)、 ⇒「筒戸の戦争」と題した記述がありますが、相馬家家臣である本多越中の太平記・講談本のような武勇伝、相馬氏勢を援軍合わせて大将分(士分か)8百、雑兵2万8千余人と記すなどの著しい誇張が見られます。しかし「東国戦記実録」等と同様に、読み物として目を通すに分には興味深いものがあります。 「関東古戦録」(槙島昭武/2002/あかぎ出版) ⇒下総国相馬郡の守谷・筒戸の城主相馬左近治胤は幼名を小次郎といい平将門の子孫であった。下妻の多賀谷修理大夫は近年武威を誇り天正17年(1589)の秋大曾根の白井全洞に命じて猿島郡坂手村樋内台へと向い沼地を経由して筒戸に攻め込んだ。筒戸には治胤の弟小三郎胤親以下本多越前守、川口播磨守が守っていたが初戦に敗れ守谷へ注進した。治胤は横田民部少輔を大将として援軍を出し全洞を坂手村まで退却させた。(以下略)なお、教育社版の「関八州古戦録」は底本の違いからこの項については収録されていない模様です。 ■史料 なし ■その他 なし ・2009/01/01 HPアップ
・2019/06/13 画像ズレ補正 |