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 素人の趣味のため思い込みと間違いについては平にご容赦を。 お気づきの点などございましたらご教示いただければ幸いです。 

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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2008/06/17のブログ 市野関館 須賀川城 伏見城(峰ヶ城)
所在地
 福島県須賀川市和田字大仏
歴史、人物、伝承

須田美濃守盛秀の本拠
 和田城城主の須田美濃守盛秀は天正17年10月の須賀川城攻防において、須賀川城主である二階堂氏後室大乗院に代わり、実質的な総大将として伊達政宗の大軍を迎え討ち奮戦。しかし衆寡敵せず、加えて一門の分裂および二階堂氏四天王といわれた守谷氏の謀叛などにより敢無く落城の憂き目に遭います。
 しかしその後常陸の佐竹氏に仕え茂木1万石の城代として厚遇され、関ヶ原合戦後の佐竹家秋田移封に随伴し一門格として角館、横館城代を務め軍学、治水事業にも優れ三大美濃と称されたとのことです。

確認可能な遺構
 土塁、郭(ともに未確認)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2008年6月17日
訪城の記録 記念撮影

( 2008/07/09 )
 後から気付くお粗末さ
 伏見城(和田城の古城で峰ヶ城とも)と同様に何気なく撮影しHP編集の段階で気づいたという経緯があります。この地域にはこの和田城を始めとして阿武隈川両岸には多くの中世城館跡が集中しており、何気なく丘陵地帯を撮影すると結果的に城館跡を撮影していたことになるような特殊性があるようです。ただし中世城館跡自体が集中しているのは阿武隈川が大きく湾曲する東岸一帯で、この和田城は古城とされる伏見城、平時の居館である和田館などと共に阿武隈川の対岸である西岸に所在しています。
 またこの東西1.5kmと長大な丘陵地帯には須賀川市指定文化財の大仏古墳群が、阿武隈川沿いの崖地には磨崖仏である和田の大仏も所在するという長い歴史の足跡がしのばれる地域です。無論この城館跡も後から気がついたために直接訪れてはおりませんので、あくまでも備忘録代りとしてアップしたものです。このため下記の画像も正確には、和田城の所在する丘陵のやや西側部分を撮影しているものです。

「和田城」遠望 画像クリックで拡大します
和田城が所在する丘陵(右手前)と阿武隈川
( 2008/06/17 撮影 )
訪城アルバム
交通案内

・須賀川牡丹園南方約500mの阿武隈川左岸の丘陵地帯で水田面との比高差はおよそ25mほど。

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)
「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)

郷土史関係
「図説福島の歴史」(1989/河出書房新社)
「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)
「福島県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「福島県の歴史」(1997/山川出版社)
「三春町史(1巻)」)、「須賀川市遺跡地図」(1998/同市教委))
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)

史料
「日本城郭史料集」(1968/大類 伸 編集)
 ⇒諸国廃城考
「復刻版 奥州永慶軍記」(2005/校注 今村義孝/秋田無明社)



・2008/07/09 HP暫定アップ

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