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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2015/10/23のブログ 八丁目館 穴沢館 大鏑館
所在地
 福島県郡山市日和田町梅沢字白幡52付近
歴史、人物、伝承

物見には相応しい地形
 当地は戦国時代の天文年間における三春田村氏と安積伊東氏勢力の境目に所在している。阿武隈川東岸にはその当時田村氏の戦略拠点のひとつであった鬼生田館が所在し、西岸には安積三郷最北の上郷東部の前線である梅沢館が所在していた。
 しかし東岸の鬼生田館方面からの眺望の良さに比較すると、阿武隈川支流の小さな谷を挟んで対峙する梅沢館側からの眺望は決して優れているとはいえず、地形上の欠点を抱えていたとも考えられる。
 その欠点を補う存在としてこの白幡神社の小丘陵における一定の役割(物見など)が浮上する可能性も考えられるのではないだろうか。
 しかし、そうした故事を伝えるような史料、伝承などの類については、下記の関係資料を参照した限りでは具体的に確認されてはいない。
 もっとも、この阿武隈川が大蛇行を繰り返す西岸では、下記の航空写真による景観の変遷が示しているように、1970年代の初めころに大規模な耕地整理が行われたらしく、山林や丘陵を含む地形のかなりの部分に人為的な変更が加えられていることも考慮に含むべきであろう。
 なお、神社名ともなっている白幡の字名は、源氏の一族を祀ったことに由来する場合、あるいは朝鮮半島からの新羅系渡来人であるハタノミヤツコに由来する場合などが考えられるともいわれている(⇒「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)ほかより)。

確認可能な遺構
 独立丘陵とその上の削平地など
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2015年10月23日 午前9時00分から9時10分
訪城の記録 記念撮影


 転んでもただでは
 この日は郡山市遠征の5日目なのでそろそろ疲れが出てきたのか、手前の梅沢館に赴くはずがそのまま行き過ぎてしまいましたが、阿武隈川の支流となる小河川の谷底にあたる西側から眺めた棚田の造形と景観が実に印象的でした。はたと間違いに気づいて、やむなく阿武隈川に架かる鬼生田橋の対岸から戻る際に、前方正面に見事な独立丘陵が存在していることに気づき立ち寄った場所がこの白幡神社の境内でした。 また同社は梅沢村の鎮守でもあるらしいのですが、付属の建物には未だに震災時の被害の跡と思われる痕跡が残されており、その被害の深刻さをあらためて再認識しました。
 麓からの比高差は目測でも約10メートルほどを測りますが、2段の削平地から構成される丘陵頂上部からは期待通りに東へ北へ西へそして北東へと複雑に蛇行する阿武隈川とその対岸の鬼生田方面の眺望に優れておりました。むろん後世の神社としての土木工事が含まれていることが予想されるため、そのまま中世城館跡としての痕跡を求めることは難しいのですが、西方400メートル地点に所在している梅沢館よりもはるかに見通しに優れかつ防御性の高い独立丘陵ではありました。 

( 2017/01/08 記述)

白幡神社の独立丘陵 ⇒ 画像クリックで拡大します
白幡神社の独立丘陵
( 2015/10/21 撮影 )
訪城アルバム
白幡神社の独立丘陵(西側部分) ⇒ 画像クリックで拡大します
白幡神社参道と鳥居 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 白幡神社の独立丘陵(西側部分)
 比高差僅か約10mほどの独立丘陵ですが、阿武隈川方面への眺望に優れています。
凸2 白幡神社参道と鳥居
 この6mほどの比高差のある石段を登ると、「画像3」の個所に繋がっています。

白幡神社石段 ⇒ 画像クリックで拡大します
石段から境内へと向かう参道 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3 白幡神社石段
 震災の影響でしょうか、画像右側の石垣の一部が横にずれているように見えます。
凸4 石段から境内へと向かう参道
 神社参道迂回路と考えるもったいないくらいの横矢がかかっておりました(笑)

白幡神社の土蔵 ⇒ 画像クリックで拡大します
神社の石垣と社殿 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 白幡神社の土蔵
 阿武隈川の河川沿いなので台地であっても、大きな振動の影響を受けたものと考えられます。
凸6 神社の石垣と社殿
 神社の石垣としては、見れば見るほどに力強い巨石を組んでおります。

白幡神社社殿 ⇒ 画像クリックで拡大します
神社の石段 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 白幡神社社殿
 社殿の奥にも段築があり、複数の古碑が祀られておりました。
凸8 神社の石段
 あくまでも近代以降の石垣だとは思いますが、それにしてもたいへん立派な構えです。

国土地理院航空写真1948年撮影 ⇒ 画像クリックで拡大します
国土地理院航空写真1975年撮影 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸9 国土地理院航空写真1948年撮影
 1948年3月26日撮影の航空写真で、整理番号USR-R1172-99より加工させていただきました。
 白幡神社の北北東には、別途旧家の屋敷構えも写り込んでいます。
※すみません「白幡神社」の表記を間違えました(以下同)
凸10 国土地理院航空写真1975年撮影
 1975年撮影の航空写真で、整理番号CTO-7531、撮影高度は1600mです。
 終戦後30年を経過していますが、それほど地形、宅地化などの変化はありません。

国土地理院航空写真2014年撮影 ⇒ 画像クリックで拡大します
梅沢館方面から東側の眺望 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸11 国土地理院航空写真2014年撮影
 2016年6月撮影の航空写真で、整理番号CTO-20146、撮影高度は2986mです。
 前の航空写真とは大きく異なり、東西方向に新しい幹線道路が整備され、山林は耕作地へと変わり、この地域でよく目にする雛壇状の耕作地の配置も大きく変わっていました。
凸12 梅沢館方面から東側の眺望
 画像手前の梅沢館方面からは、この小さな谷筋を挟んだ画像正面の丘陵の存在により、東側阿武隈川方面への視界を遮られているともの考えられます。
交通案内


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凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
・「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林) ⇒ 記述なし
・「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社) ⇒ 記述なし
・「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) ⇒ 記述なし

歴史・郷土史関係等
・「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院) ⇒ 記述なし
・「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社) ⇒ 記述なし
 ⇒ 地方紙である福島民友に2013年から2014年にかけて連載されていた記事を基に編集されたもので、安積地域に所在している約40か所の城館跡について略述している。
・「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
 ⇒ 白幡神社のみについて略述されているが、中世城館との関係についての記述はない。
・「郡山の歴史」(旧版 2004/郡山市) ⇒ 記述なし 
 応永11年(1404)の安積伊東氏一揆連判状では、この地に関連している人物として伊東氏の一族とされる「」の名が見られる。
・「郡山の歴史」(新版 2014/郡山市) ⇒ 記述なし
 近年における発掘調査の成果などを含むが、旧版で収録されていた中世の政治動向などが割愛されている部分もある。
・「郡山市史第1巻通史編」(1975/郡山市編) ⇒ 記述なし
・「三春城と仙道の城−三春城築城500年記念 平成16年度春季特別展図録」(2004/三春町歴史民俗資料館)
 田村地方(主に阿武隈川中流域東岸の三春田村氏支配領域)の村と城館に関して一覧表形式で約200か所近くを収録している。 ⇒ 記述なし
・「三春町史第1巻」(1982/三春町) ⇒ 記述なし
 故小林清治氏による田村氏の権力構造とその家臣団に関する論考などが収録されている。

史料、地誌
・「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より) ⇒ 記述なし
・「郡山市史第8巻資料編」(1973/郡山市編) ⇒ 記述なし
・「三春町史第7巻」(1978/三春町) ⇒ 記述なし
 戦国期田村氏の基本資料として欠かすことのできない「田村家臣録」「田母神氏旧記」などの資料を収録している。

その他(データベース、関係著書)
・福島県文化財データベース「まほろん」 ⇒ 記述なし
・郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」 ⇒ 記述なし
・「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院) ⇒ 記述なし
 ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。
 このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。田村氏に関しては「田村家臣録」「田母神氏旧記」に関連して、田村氏の家臣団とその関連する城館についての考察がある。


・2017/01/08 HPアップ
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