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2015/10/21のブログ 凸大鏑館 凸中田館 凸水神館 | ||
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福島県郡山市日和田町八丁目字鹿島後(または戸ノ内) | |
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土塁、横堀、郭、切岸、腰郭、土橋 | |
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なし | |
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2015年10月21日 午前8時25分から午前9時00分 |
( 2015/10/21 撮影 ) |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
・「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林) ⇒ 掲載なし ・「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社) ⇒ 掲載なし ・「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) ⇒ 掲載なし ■郷土史関係等 ・「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院) 八丁目に所在する城館跡として「水神館」についての記載があるが、「阿武隈川左岸」という点では一致する部分もあるが、「平館」という点、「方100mの居館」、「河川の氾濫により湮滅した部分がある」などの記述を見る限りでは、この八丁目館に関するものではないと思われる。ただし「相生集」からの引用として、「水神の社あり」という記述が見られ丘陵麓の水神を祀った石碑の存在と符合する部分もあることから興味深い記述ではある。 ただしこの城館跡とは別に市内富田町には、陣城とも推定されている水神館も存在しているのでややこしい。 ・「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社) ⇒ 地方紙である福島民友に2013年から2014年にかけて連載されていた記事を基に編集されたもので、安積地域に所在している40か所の城館跡について略述しているが、この城館に関しては記載されてはいない。 ・「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店) ・「郡山の歴史」(旧版 2004/郡山市) ・「郡山の歴史」(新版 2014/郡山市) ■史料 ・「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より) ⇒ 記載確認できず ■その他 ・福島県文化財データベース「まほろん」 ⇒ 掲載有 ・郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」 ⇒ 掲載有 ・「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院) ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究しているが、この城館についての記述はない。 このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。数百年以前当時に藤田川の南岸に所在していたとすれば、この安積三郷の区分に従うといちおう「中郷」ということになるのかも知れない。 ・2016/10/22 HPアップ
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