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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2015/10/21のブログ 木村館 仁戸内館 根木屋館
所在地
 福島県郡山市西田町芹沢字館、字、馬場ほか
歴史、人物、伝承

経緯不詳
 「田母神氏旧記」「田村氏家禄」「田村氏系譜」などの同時代史料などには、芹沢の地名と人名は全く登場しないが、同じく同時代史料である「熊野山新宮年貢帳」には永禄11年7月の「三段 300文 せりのさわ」、天正14年10月の「三段 300文 せりのさハ 此内11文なし不申候」の記述があり、遅くとも中世末期からその村名が確認できる。
 また天正18年(1590)10月9日付の「熊野新宮領差出帳」に示された差出検地状(いわゆる太閤検地のひとつか)の記述によれば、「芹沢 3反 此内 300文 熊野へ出る」(「田村家臣録」と同様の「片倉文書」より)との同時代史料も確認できる。(「三春町史第7巻」より)
 天文から天正年間にかけての戦国時代には三春田村氏の支配する領域に含まれてはいたが、芹沢館の所在している旧芹沢村は阿武隈川東岸沿いの丘陵地帯に存在している集落で、阿武隈川方面の見通しはほとんど効かないこともあり、東方の木村館、阿武隈川対岸の福原館などの重要拠点とは異なり、どちらかといえば田村氏一門あるいはその宿老などの階層に属さない村落領主である在地勢力による村落支配のための拠点であった可能性を考えたい。
 芹沢集落全体がその領域ととして推定されており、馬場などの中世城館関連の字名が残されている中心部から西側にかけて、切岸や土塁などの地形の名残を感じるものがあったが、それはあくまでも現状の地形からの印象であるにすぎず城館遺構との関連性については定かではない。

確認可能な遺構
 土塁?、郭?、切岸?
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2015年10月21日 11時25分から12時15分
訪城の記録 記念撮影


 館、馬場などの城館関連地名が残る
 阿武隈川東岸、磐越自動車道の南、標高250mほど、麓からの比高差10m余りの丘陵地帯に所在していますが、その一帯とされているだけで正確な城館跡としての範囲、縄張りなどは不明のようです。
 「まほろん」(福島県文化財データベース)、「埋蔵文化財包蔵地マップ」(郡山市)などでは中世城館跡として把握されていますが、「日本城郭大系」「福島の中世城館跡」「日本城郭全集」などの城館資料には掲載されていません。また三春田村氏には別途酷似した名称の城館に「芦沢館」(田村市舟引町)も存在しますが無論別個のものです。
 なお、丘陵の南麓には穴澤姓の旧家も所在していましたが、蘆名氏の有力家臣であった同氏との関わりは不明です。 

( 2016/10/29 記述)

芹沢館南麓 ⇒ 画像クリックで拡大します
芹沢館南麓
( 2015/10/21 撮影 )
訪城アルバム
神社 ⇒ 画像クリックで拡大します
はて.. ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 集落内の神社
 集落の南部に所在する小祠で、いちおう祭神を確認させていただいたのですが、その外観からは神額や石碑なども見かけられず祭神、社名は分かりませんでした。
 そうはいっても些か気にかかる人工的な地形でした。
凸2 はて..
 社名不明の神社の南麓にはこのような郭状の地形が広がっているのですが、後世の神社造立にともなうものか、耕地整備などに関連するものなのか迷います。

社殿の削平地 ⇒ 画像クリックで拡大します
土塁? ⇒ 画像クリックで拡大します
凸3社殿の削平地 
 「画像2」の地形と合わせて2段の段築になっていました。
凸4 土塁?
 「画像3」の神社の裏側をそのまま北へ進むと集落内の道路に出て、その先にこの悩ましい地形が見えます。

土塁? ⇒ 画像クリックで拡大します
切岸? ⇒ 画像クリックで拡大します
凸5 土塁?と廓?
 集落内を南北方向に走る公道の東側にはこのような高さ約1m、長さ約40mほどの連続した盛り土があるのですが、画像左側の削平地と合わせると、単に道路建設や耕地整備などにより形成された地形とは思えない味わいがありました。ちなみにこの周辺の地名は馬場という字名のようです。
凸6 切岸状?の地形
 いちおうという字名が残されている辺りですが、画像の削平地はこうした丘陵地帯などによくありがちな地形で、近年新た整地されたもののような印象を受けました。

集落の集会所 ⇒ 画像クリックで拡大します
稲荷神社 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸7 集落の集会所
 丘陵の小高い個所を整地して建設された芹沢地区の集会所で、阿武隈川氾濫の際には避難場所にもなっているようでした。この画像の右奥付近が「画像8」の稲荷神社の社叢のようです。
凸8 稲荷神社
 丘陵のなかで最も標高の高いと思われる地点に所在する稲荷神社で、村の鎮守とされ戦前は旧村社でもありました。

社殿の削平地 ⇒ 画像クリックで拡大します
馬場の字名 ⇒ 画像クリックで拡大します
凸9 社殿の削平地
 集落の北方に所在する稲荷神社の境内はこのように比較的大きく、さらに下段の削平地は駐車場と公園を兼ねたものになっていましたので旧来の地形は不明です。
凸10 馬場の字名
 集落の南麓付近に馬場の地名が表示されていたカーブミラーが設置されていたので、記念撮影をしておきました。
交通案内


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凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
・「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林) 記載なし
・「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社) 記載なし
・「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社) 記載なし

歴史・郷土史関係等
・「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院) 記載なし
・「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社)
 ⇒ 地方紙である福島民友に2013年から2014年にかけて連載されていた記事を基に編集されたもので、安積地域に所在している約40か所の城館跡について略述しているが、この城館に関する記述は収録されてはいない。
・「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
・「郡山市史第1巻通史編」(1975/郡山市編)
・「三春城と仙道の城−三春城築城500年記念 平成16年度春季特別展図録」(2004/三春町歴史民俗資料館)
 田村地方(主に阿武隈川中流域東岸の三春田村氏支配領域)の村と城館に関して一覧表形式で約200か所近くを収録しており、いちおうこの芹沢館の名も収録されているがその詳細についての記述は見られない。
・「三春町史第1巻」(1982/三春町)
 故小林清治氏による田村氏の権力構造とその家臣団に関する論考などが収録されている。

史料、地誌
・「郡山市史第8巻資料編」(1973/郡山市編)
・「三春町史第7巻」(1978/三春町)
 戦国期田村氏の基本資料として欠かすことのできない「田村家臣録」「田母神氏旧記」などの資料を収録している。

その他(データベース、関係著書)
・福島県文化財データベース「まほろん」
・郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」
・「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院)
 ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。
 このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。田村氏に関しては「田村家臣録」「田母神氏旧記」に関連して、田村氏の家臣団とその関連する城館についての考察がある。

・2016/10/29 HPアップ
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