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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  物見館 袖ヶ城
所在地
 福島県西白河郡矢吹町一本木
歴史、人物、伝承

委細不明
 何時頃の時代のものなのか皆目不明ですが、近世の名主階層などの有力者の屋敷構えに伴うもの、あるいは西側に接している新しい道路の建設拡張に伴い掘り下げられた地形の残滓など様々な事例が想定できるものと思われます。
 無論一連の「矢吹町史」関係の資料などにも、これといった記載は認められませんが、いずれにしても確かに土塁状の地形を形成しているいるようにみえることだけは間違いのない事実なのでありました。なお名称については、勿論あくまでも便宜上の仮称に過ぎません。
 

確認可能な遺構
 土塁状の地形?
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年4月7日 午前5時50分から6時00分
訪城の記録 記念撮影

( 2009/07/05 記述)
 行きがけの..
 藪と荊に阻止されることが予想された「物見館」へと向かう途中で、ふと何気なく道路(県道106号石川矢吹線)の左手に目をやると台地の南縁部に何やら土塁と思しき地形が所在しているのが目に入りました。当サイト管理人の年齢的から考えますと、今後矢吹町を再訪することは殆ど考えられないと予想されることからせっかくの機会と思い暫しの間拝見をいたしました。
 隣接する道路の新設拡張などに伴う地形の改変の形跡が目立ちますが、地表観察の限りでは土塁状の地形を呈しており、途中で分断されてはいるものの民家の西辺で延長にして約50mほどの規模を有しておりました。土塁の高さは道路とは反対側の東側から観察する限りでは、北側が最も高く約2mほどを測り、南側にすすむに従い次第に低くなっていることが窺えます。
 北辺にもこれに関連すると思われる地形を見ることができますが、住宅等の建設の際に掘り下げられた可能性が大きいものと考えられます。無論そうした一連の経過などについて伺おうとも考えましたが、遅霜のためフロントグラスが凍結してしまうような気温摂氏3度というこの早朝では余りに常識外れな時刻なのでありました。
 なお、「一本木」の地名は「物見館」が所在する旧須乗村の中の小字名に確認できますが、この地が明治21年の大合併前の旧矢吹村に属するのか、あるいは旧須乗村(その後三神村を経て矢吹町へ)に属するのか全く知る由もない管理人なのでありました(恥)

一本木の土塁 ⇒ 画像クリックで拡大します
(仮称)一本木の土塁
( 2009/04/07 撮影 )


(注) 「矢印と番号」は、だいたいの撮影地点と方向を示していますが厳密なものではありません。
「」 ⇒ 画像クリックで拡大します
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

郷土史関係等
「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
「西白河郡誌(1)」(福島県郡誌集成第6集/1966/福島県史料叢書刊行会)
「矢吹町史第1巻通史編」(1980/矢吹町)
「目で見る矢吹町史」(1975/矢吹町)
⇒(注)上記の資料の範囲では、いずれも関係するような記述は見当たりません。

・2009/07/05 HPアップ
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