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2016/11/15のブログ 凸比丘蓮館/久保田城 凸早水館 凸稲荷館/郡山城 | |
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福島県郡山市昭和1丁目5、6、7、10番付近 |
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なし(下記の古い航空写真に堀跡状の地形が確認できる) |
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なし |
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2016年11月15日 |
( 2016/11/15 撮影 ) |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
・「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島(「福島県の中世城館跡」を収録)」(2002/東洋書林)掲載なし ・「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社)掲載なし ・「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)掲載なし ■歴史・郷土史関係等 ・「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院)掲載なし ・「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社)掲載なし ・「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店) ・「郡山の歴史」(旧版 2004/郡山市) ⇒ 「名倉館」の記述あり 応永11年(1404)の篠川公方足利満直に対する忠誠を誓ったとされる「安積伊東氏一揆連判状」では、この地に関連している人物として伊東氏の一族とされる「名倉藤原祐清」(松藩推古、有造館本結城古文書写)の名が見られる。また「表7安積郡の城館」において「小原田/名倉館/名倉五郎左衛門尉」の記述がある。 ・「郡山の歴史」(新版 2014/郡山市) ⇒ 「名倉」の記述あり 近年における発掘調査の成果などを含むが、旧版で収録されていた中世の政治動向などが割愛されている部分もある。 ・「郡山の地名(口承文芸刊行物)(2005/郡山市教育委員会)」 ■史料、地誌 ・「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より)記載なし ・「郡山市史第8巻資料編」(1973/郡山市編) 天文15年5月28日の田村隆顕証文(郡山文書)によると、「今般、彼子細について走廻り()かたじけなく候、これにつきなくら(名倉)の地配当せしめ候」として、郡山又五郎(郡山城を本拠とした郡山氏一族か)に名倉の地を恩賞として与えている。また、天文20年7月16日の田村隆顕証文(白川証古文書)には、「今般、会津、当方の間について、条書之事・・・一 名倉、荒井、彼の両地のこと・・・」とあり、田村氏から蘆名氏へ戻され、須賀川の二階堂氏へと帰属された。この古文書にもあるようにこの地は田村氏と蘆名氏の間で幾度となくその支配領有権が移動していた。 ■その他(データベース、関係著書) ・福島県文化財データベース「まほろん」記載なし ・郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」記載なし ・「国土地理院航空写真」(国土地理院ホームページから) ・2017/02/16 HPアップ
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