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2016/11/16のブログ 凸東権官館 凸西権官館 凸久保田山王館 | |
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福島県郡山市片平町字菱池、字上極楽 |
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なし(発掘調査における遺構・遺物の検出あり、航空写真からも明瞭な堀跡等を確認) |
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なし |
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2016年11月16日 午前9時20分から9時30分 |
( 2017/9/16 作成 ) |
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凸参考・引用資料
(太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの) ■城郭関係
・「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島(「福島県の中世城館跡」を収録)」(2002/東洋書林) ⇒ 記載あり ・「日本城郭体系 3」(1981/新人物往来社) ⇒ 記載あり ・「日本城郭全集 2」(大類 伸 監修/1967/人物往来社)記載なし ■歴史・郷土史関係等 ・「会津・仙道・海道地方諸城の研究」(1980/沼舘愛三編著/伊古書院) 同書によると「片平村には館跡3か所ある。上舘(※片平城をさす)、下館(※平地の片平下館をさす)、中村館これである。中村館は片平部落東側にある平地で逢瀬川左岸中村部落にある。南方は沼地で他の三方は低地に臨む。館地は大体居館式で一、二の郭らしい処はあるも遺構今は明瞭でない。低地は往時低湿地である。相当の要害であったと思われる。」と記されており、昭和20年代前半の城跡の様子とその印象を伝える唯一かつ貴重な記述である。 ・「郡山の城館−歴春ブックレット安積2」(2015/垣内和孝 著/歴史春秋社) ⇒ 地方紙である福島民友に2013年から2014年にかけて連載されていた記事を基に編集されたもので、安積地域に所在している約40か所の城館跡について略述しているが、残念ながらこの中村館については記載がない。 ・「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店) ⇒ 「字中村」に関する「安積南郷北郷田地注文」(相殿八幡神社文書/福島県史7巻)の中郷のうち「中村 五丁五段」と記されている。 ・「郡山の地名(口承文芸刊行物」)(2005/郡山市教育委員会)字名の収録のみ ■史料、地誌 ・「積達古館弁巻ノ五安積郡」(「郡山市史8資料編」より) 「中村館 里老伝に城主不知と云々、」との記述がある一方で、つづけて「天正13年霜月10月4日会津四天の宿老ども、佐竹・岩城・白川・石川の人々牒し合い、伊達方なる中村城を攻落し、敵の首を切ること200級と云々、按ずるに伊藤肥前守重信は本安積の産にして片平上舘の旧主は重信が祖也、」と記している。この後段の文言から伊東肥前守重信が中村館に居住したとの説があるらしいが、垣内氏が下記の著書でも指摘をされているように、仮に重信の祖先が片平上舘(いわゆる片平城)の旧主であったとしても、けっして重信自身が中村館と関わりを持っていると指摘しているという訳ではなく、あくまでも文脈の中のエピソードのような性格のように思われる。 ■その他(データベース、関係著書) ・福島県文化財データベース「まほろん」 ⇒ 掲載あり、但し所在地に錯誤か ・郡山市役所公式HPから「埋蔵文化財包蔵地マップ」 ⇒ 掲載あり、但し所在地に錯誤か ・「室町期 南奥の政治秩序と抗争」(2006/垣内和孝 著/岩田書院) ⇒ 篠川・稲村公方に関する論考に始まり二本松氏、塩松石橋氏、、二階堂氏、岩城氏、芦名氏、白川結城氏・小峰氏、田村氏、伊東氏・相良氏の15世紀から16世紀の動向を詳細に記述するとともに、これらに関連する中世城館等についても概括的に論究している。このほか伊東氏をめぐるその系譜と伊東氏の主たる領地である安積三郷(五百川以南で藤田川以北の上郷、藤田川以南逢瀬川以北の中郷、逢瀬川以南笹原川以北の下郷) の同氏の支配関係を考察する論考も掲載されている。 この中村館についても270頁に論考が収録されている。 ・「発掘調査報告書 中村館」(1975/郡山市教育委員会) ⇒ 図書館耐震工事のため未確認 ・「国土地理院航空写真」(国土地理院ホームページから) 航空写真画像を編集加工した ・2017/09/20 HPアップ
・2017/10/03 記述訂正、「会津・仙道・海道地方諸城の研究」において、片平館の項目のなかに中村館に関する記述のあることを確認したので「参考・引用資料」の部分を訂正した。 |