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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/04/06のブログ 国神城 隈井城
所在地
 福島県西白河郡矢吹町中畑
歴史、人物、伝承

旗本松平氏の陣屋
 「藤井家文書」の「大過去帳控」等によれば、天保8年(1837)1月28日に徳川幕府浅川陣屋の直轄領の内から中畑・大畑・堤・神田・中野目など7ヶ村5千石分が、旗本松平軍次郎石見守康済の知行地となり在地支配のための旗本陣屋を取りたてたことが記されています。
 康済は天保7年(1836)に石見国浜田藩主から磐城棚倉棚倉6万4千石に移封された松平(松井氏)周防守の子にあたり、その子万太郎石見守康直は幕末の安政・万延年間(1859-1860)に外国奉行に任じられ、その後は本家である棚倉藩の養子に迎えられて周防守康英を名乗り慶応3年(慶応3年)川越藩8万4千石に移封され、明治維新以後その子孫は子爵となりました。
 一方中畑陣屋については、その後白河藩主から棚倉へ移封された阿部正外の弟である松平巨摩之助信濃守康功が中畑村等の2500石を含む計5千石を幕末まで支配し、その陣屋としての機能は継承されていたものと考えられています。
(以上については、「矢吹町史」/「矢吹町史資料編1」より引用しました)

確認可能な遺構
 なし
文化財指定
 「陣屋の二本カヤ」については1971年4月13日福島県指定記念物に指定されています
訪城年月日
 2009年4月6日 11時20分から11時35分
訪城の記録 記念撮影

( 2009/07/07 )
 郵便局が目印
 幕末に長崎奉行の要職にもついた旗本松平氏の陣屋址です。その名残は2本のカヤの木と南北の道路沿いに開けた集落の佇まいにその面影を残すのみで、当該陣屋屋敷については会津若松市の武家屋敷に移築されたとのことです。
 この陣屋の所在地は少々分かりにくく、この際は図々しく直接矢吹町教員委員会に問い合わせてみることにいたしました。問い合わせの経緯と管理人の現在位置を説明し、その場所を伺ったところでは中畑郵便局のすぐ裏手に所在しているとのことでした。そのあとでよくよく考えてみれば、この付近は昨年の2008年6月の日没間近の夕闇の中、今回訪れた国神城の所在地を探してウロウロと彷徨した地域であったことを思い出しました。

⇒ 画像クリックで現地解説版へ
中畑陣屋跡の中心部付近
( 2009/04/06 撮影 )

訪城アルバム
陣屋跡と現地説明版 ⇒ 画像クリックで周辺の景観へ
澄江寺本堂
凸1 陣屋跡と現地説明版
 こちらのお宅の土蔵が目印ですが、あくまでもこの建物自体は陣屋跡とは関係がなさそうな様子でしたが、こちらのお宅のお庭が陣屋当時の庭園と推定されている模様なのでありました。
表通りに所在する「中畑郵便局」
凸2 澄江寺
 中畑陣屋は、こちらの寺院の南東側に所在していたことが、「中畑村中宿村図」(天保10年「小針家文書」より)に記されております。貞和3年(1347)に結城氏一族(⇒白河結城氏か)により建立されたとされる曹洞宗寺院。
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
なし
郷土史関係等
「福島県の歴史散歩」(2005/山川出版社)
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
「西白河郡誌(1)」(福島県郡誌集成第6集/1966/福島県史料叢書刊行会)
「矢吹町史第1巻通史編」(1980/矢吹町)
「目で見る矢吹町史」(1975/矢吹町)

史料
「中畑村中宿村図」(天保10年「小針家文書」より)によると、代官陣屋は青林山澄江寺から南へとのびる集落の東側に間口64間(約116m)、奥行20間(約36m)の長方形の形状で沿接していたことが記されており、また戦国期中畑氏重臣の家系と推定される小針氏、あるいは当時の名主である岡崎氏などの有力者の屋敷の様子も描かれています。(「矢吹町史」および「矢吹町史資料編1」より)

その他
矢吹町公式HP

・2009/07/07 HPアップ
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