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1歴史・伝承 2残存遺構 3訪城記録・記念撮影 4アルバム 5交通案内 6参考・引用資料 7更新記録
関連ページへのリンク  2009/04/06のブログ 西袴館 堤館 沢尻館
所在地
 福島県西白河郡矢吹町明新字明新下
歴史、人物、伝承

不詳の館跡
 矢吹町南東部阿武隈川左岸の明神(みょうしん⇒現在の地名は明新と表記)地区の集落西側の丘陵地帯に所在する城館跡で、その経緯については、「矢吹町史第1巻通史編」(1980/矢吹町)等においても年代、舘主ともに不明とされています。
 戦国時代末期には他の矢吹方面の城館跡と同様に、白川結城氏傘下の中畑氏の影響下に置かれたことが想定されることから、一時期においては対岸の石川氏の動向を監視する役割を担っていた可能性も考えられます。
 明新(神)の呼称については、明岡村(みょうおかむら)と明岡新田村(みょうおかしんでんむら、近世の新田開拓により分村)が明治19年(1886)に合併し明新村(みょうしんむら)となったことによるものと考えられます。その後明治22年(1889)には、三城目村、神田村など5ヶ村と合併して三神村(みかみむら)へと名称が変わります。ことによりますと、こうした経緯から本来は「新」であるべき所を「神」の字を当てるようになったのかも知れませんが、あくまでも憶測の域を出るものではありません。
 明岡村は文禄3年(1594)の蒲生氏による検地では130石余で、慶応2年(1866)の戸数は22軒という比較的小規模な集落であった模様です。
 なお明治15年に作成された地籍図等からは、小字名の「館山」(たてやま)という中世城館との関連を示す地名も確認されていまが、別名として白滝城、あるい観音堂が所在することから観音山館とも呼称されます。

確認可能な遺構
 郭?(年代不詳の削平地形、切岸状地形は一部現存しているように思われる)
文化財指定
 なし
訪城年月日
 2009年4月6日
訪城の記録 記念撮影

( 2009/04/06 )
 年代不詳の人工的地形
 郭が所在していたと推定される山頂付近には、現在矢吹町明神地区の町立簡易水道施設が建設されているため以前の地形が判然とはしませんが、下記画像のように明新集落の背後に聳える丘陵上に所在しているという地理的条件から、当該集落の有力者階層の居館であったであろうことは想像に難くありません。
 関連遺構については当該施設の建設により概ね消失しているものと思料されますが、明らかに削平された山頂、その周辺の切岸状の地形、北方へとのびる細長い尾根筋などに城館跡の名残が感じられなくもありません。ただしそれらの人為的な印象の地形が、果たして何時頃の時代のものであるのかについては全く不明なのでありました。

明神館の遠望 ⇒ 画像クリックで拡大します
東側からの明神館遠望 −A−
( 2009/04/06 撮影 )


(注) 「矢印と番号」は、だいたいの撮影地点と方向を示していますが厳密なものではありません。
明神館周辺の地形図 ⇒ 画像クリックで拡大します
訪城アルバム
山頂から北側にのびる稜線部分 ⇒ 画像クリックで拡大します
郭跡? ⇒ 画像クリックで拡大します
凸1 北側の稜線部分
 尾根筋を遮断するような堀切でも確認できれば喜ばしいところでありますが、視界の範囲ではおおむね平坦な尾根筋が続いておりました。
 明新の集落の大半は、おおむねこの稜線の東側麓に展開し麓との比高差は30mを超えることから本来の眺望は良好と思われます。
凸2 郭跡?
 山頂部の主郭と想定される個所には町立簡易水道施設が所在しているため、当該施設の建設時に新たに造成された地形であるのかも知れません。
 しかしその南側部分にも人工的に削平された地形が続き、(⇒画像3)その辺縁部には切岸状の地形も見受けられます。
東側約500mを北流する阿武隈川
交通案内

いつもガイド の案内図です いつもガイドの案内図

凸参考・引用資料
太字の資料は特に関連が深いもの、あるいは詳しい記述のあるもの)

城郭関係
「北海道・東北地方の中世城館 4 岩手・福島」(2002/東洋書林)

郷土史関係等
「角川地名大辞典7福島県」(1981/角川書店)
「矢吹町史第1巻通史編」(1980/矢吹町)
「目で見る矢吹町史」(1975/矢吹町)
⇒矢吹町の発行した両書は夫々「明神館」「明新館」の2通りの表記がなされておりその表記は統一されていません。

史料
なし

その他
福島県文化財データベース⇒確認遺構としては、「郭」の表記がなされている。

・2009/06/01 HPアップ
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